2⃣ あなたは『 はなちゃんを救う会 』を知っていますか ? ~時間との戦いだった 募金活動の話。
あなたは『 はなちゃんを救う会 』を知っていますか ?
『 はなちゃんを救う会 』とは… 。
静岡県在住の 岩倉花愛・はなちゃん( 現在 生後7か月 )は、「 拡張型心筋症 」 という難病を発症、薬での治療は効果がなく 明日はないと告げられた日もありましたが、周りの予想を超える生きる力で小児用人工補助心臓をつけることができるまでになりました。
しかし、5か月で4,000gという小さな身体だった はなちゃんには、小児用の補助人工心臓でさえ負担が大きく、治療方法は 心臓移植しかありません。
しかし、海外で心臓移植を受けるためには 3億1,000万円という莫大な費用がかかります。
そこで 「 はなちゃんを救う会 」 が立ち上げられ 心臓移植のために募金活動が開始されました。
現在、目標金額に対して あと 約1億5,000万円が不足しています。(当時)
2016年8月~ まだまだ『 はなちゃんを救う会 』 の募金活動は続いていました。
【 8月21日(日)の街頭募金結果 】(大阪)京橋駅 331,847円。
この日、私も 少しだけ 京橋駅での街頭募金活動に参加させて頂きました。でも まだまだ目標金額には届いていません…。
この時、はなちゃんの容体は思わしくなくて、ミルクを口から飲めなくなり点滴も増えていました。小さな身体の はなちゃんには 本当に時間がありません。今、難病で苦しむ人の3割の方が募金額に達する前に亡くなられているとのことです。
絶対に短期間で目標金額を達成させなくては ならないと感じていました。
【 はなちゃんの生まれてから 当時までの経過 】
2016年1月5日 静岡県内の病院にて、妊娠36週、2,476gで誕生 ~1月10日 退院。
退院前健診でも、異常は見られなかった。
・1月20日 泣きひきつけを起こし、総合病院に連絡。しばらく様子を見るように言われる。足のチアノーゼ(唇や指先などの皮膚や粘膜が青紫色に変化した状態)が出だす。
・1月25日 体重フォローの為、助産院を受診。チアノーゼが気になり、酸素濃度を計測するが異常は見られなかった。
2016年1月26日 ミルクの飲みが悪くなる。
・1月28日 ぐったりとした様子がみられミルクを飲まなくなる。
・1月29日 静岡県内の病院を受診し、そのまま入院となる。拡張型心筋症と診断を受ける
・月2日 人工呼吸器をつけ、筋弛緩剤を使用し、寝かせた状態での管理を行う。
・2月3日 血圧が40を下回るようになり、おしっこが出なくなる。強心剤を使用するが、血圧が上がらず、危険な状態と説明を受ける。
・2月6日 セカンドオピニオンを受け、小児心臓移植施設への受け入れを要請する。
・2月8日 肺炎にかかる。
・2月9日 国立循環器病研究センターの医師と面談し移植や転院の話を聞き、心臓移植しか、救命手段はないと告げられ、転院を決定する。
・2月12日 ドクターカーで搬送される。肺の状態が悪く、転院が数日遅ければ、肺が破れ、命の危険があったと説明を受ける。心臓と肺の負担を軽くするため、人工心肺装置(ECMO)装着手術を受ける。この日から2週間近く人工心肺を装着したが、大きな合併症は見られなかった。
2016年2月15日~27日 肺のうっ血(肺内の血液が心臓に帰りにくい状態)を解除するため、2度の手術を行い、意識が少しずつ回復し、心臓移植・小児補助人工心臓の適応と判定される。
・2月28日 8時間を超す手術を乗り越え、小児用補助人工心臓(EXCOR)装着。
・3月7日 胸腔内血腫除去手術を行う。
・3月13日 人工呼吸器を外すが、2時間で再挿管となる。
・3月31日 2度目の抜管。翌日、無気肺となるが、人工呼吸器から離脱する。
2016年4月4日 頭部CT検査で、硬膜外出血の跡がみられたが、心臓移植の適応と判定。4月中旬 日本臓器移植ネットワークに登録。
・4月下旬 アメリカ コロンビア大学に受け入れを要請。
・5月下旬 コロンビア大学からデポジット(支払い保証のための「預かり金」)の金額提示。
・6月上旬 ミルクの飲みが悪くなり、むせる事が多くなる。
・6月中旬 CT検査で無気肺が悪化しており、肺に対する治療を開始する 心不全も進んでおり、むくみがみられた為、利尿剤を開始する。
・6月下旬 ミルクの飲みが再び悪くなる。
・7月5日 生後6カ月を迎える。
2016年8月上旬 状態が落ち着き、高流量の酸素が外れ、以前の酸素投与に戻ることができた。8月中旬 吐き気、嘔吐を繰り返すようになる 発熱を繰り返すようになる。注入だったミルクを、少しずつ口からも飲む事が出来るようになる。
はなちゃんは、心臓移植をめざし、力の限りを尽くして必死に命をつないでいます。どうか一刻もはやい目標金額達成、心臓移植実現のため、皆様のあたたかなご支援どうかよろしくお願いいたします。
《 目標金額 》3億1,000万円
《 8/31現在の募金額 》1億8,650万1,846円
私、最初は 街頭募金だけで 3億1,000万円なんて 無理だ… と思いました。
でも 「 はなちゃんを救う会 」 の代表者の方、大阪支部の方々の執念は凄まじくて 「 必ず達成させる! 」 という気持ちにさせてくれました。
そんな中、Jリーグ セレッソ大阪が はなちゃんに温かい救いの手を差しのべてくれました。
8月7日に行われた試合ではご厚意により、キンチョウスタジアムで 『 はなちゃんを救う会 』 の募金活動が行われました。スタジアムに来場した皆さんは 「 頑張ってください! 」 と声を掛けてくれました。
そして 私、キンチョウスタジアム 『 はなちゃんを救う会 』 の募金活動で 柿谷 曜一朗選手に 声を掛けてもらってから ずっと セレッソ大阪に協力してもらって 募金活動ができないものか… と考えていました。
そして、思い切ってセレッソ大阪に『 はなちゃんを救う会 募金活動のお願い 』のメールを送付しました。
その後、私にとって かなり長く感じる時間が過ぎましたが、クラブから しっかりと返事をいただきました。
な、なんと 「セレッソ大阪ファン感謝イベント」において 募金活動を開催して頂けるとのことでした。
私が お願いの手紙を送ったのは 大阪サッカークラブ株式会社(セレッソ大阪) 取締役チーム統括部長・一般社団法人セレッソ大阪スポーツクラブ代表理事(当時)の 宮本 功さん。
宮本さんは「キンチョウスタジアム内覧会」「新クラブハウス内覧会」「選手育成組織 ハナサカクラブの総会」等でお会いして いろいろとセレッソ大阪に関する話をさせて頂いていました。
私が とっても信頼している 「ミスターセレッソ」ともいえる方です。
<写真の左側が宮本 功さん、右側が 玉田社長(当時)です。>
私、『 尊い命を救うための募金活動は非常に数多くあるので、なぜ 「 はなちゃんを救う会 」 だけなのか、と思われるかも知れません。難病で苦しむ全ての命を一度には救えませんが、ひとつずつなら可能ではないかと思います。本当に勝手ですが そのためにセレッソ大阪の皆さまに協力して頂きたいと願っています。』と書きました。
宮本さんからの返信には…。
『 先日 8/7 横浜FC戦で行われた「 はなちゃんを救う会 募金活動」にクラブとして少しでも役立てた事は、大変嬉しく思っております。しかしながら 募金活動を試合時に継続して行うことや Jリーグ全体として実施することは難しいところです。ですが、クラブとしても お役に立てればという思いはあります。
そこで 9/4 にファン感謝デーを開催します。その際に募金ブースの設置、チャリティーオークションなどで来場のサポーターへの呼びかけをさせて頂きたいと考えております。
選手会へも賛同してもらいブースへ選手が行って募金のお手伝いも考えております。』(抜粋)
な、なんと ファン感謝デーにおいて 募金活動の場を提供して頂けるとの返答でした。セレッソ大阪が はなちゃんに温かい救いの手を差しのべてくれたのです。
しかし、ファン感謝デーまでには あまり時間がありません。
早急に準備ができるだろうか…
すぐに「 はなちゃんを救う会 」 の代表者の方に電話で相談しました。
私の問いかけに対しての回答は…
「 やります!! 」。
もう 即答でした。
私、その言葉を聞いて 徹夜を覚悟して 準備に取り掛かるつもりでした。
でも 全ての準備は セレッソ大阪事務局のスタッフさんが行ってくれました。(後で セレッソ大阪のスタッフさんに聞いたら このファン感謝デーの準備で 一部のスタッフさんは徹夜だったそうです…。 )
さぁ、いよいよ、「セレッソ大阪のファン感謝イベント」と「はなちゃんを救う会 募金活動」が始まります!!
<🌸 次回に続きます。>
1⃣ あなたは『 はなちゃんを救う会 』を知っていますか ? ~ 小さな命を救うために行われた 募金活動の話。