4⃣ あなたは『 はなちゃんを救う会 』を知っていますか ? ~ はなちゃんがアメリカのコロンビア大学病院に向けて出発した話。
あなたは『 はなちゃんを救う会 』を知っていますか ?
【「はなちゃんを救う会」目標金額達成のお礼】
はなちゃんの心臓移植のための必要金額が集まったことをご報告させていただきます。ご協力いただきました皆様に、心より感謝申し上げます。本日をもちまして募金活動は終了とさせていただきます。
本当にありがとうございました。後は、はなちゃんが一刻も早く渡航できるよう、はなちゃんの病状が安定し続けることを強く強く祈るばかりです。今後ははなちゃんの一刻も早い渡航にむけ、救う会ができる事を全力で行っていきたいと思います。
( …以下 省略させて頂きます、かなりの長文でした。 )
2016年11月8日10時20分
「はなちゃんは 関西国際空港よりニューヨークに向けて ご家族や医療関係者さんを乗せた チャーター機で 無事に出発しました。」
これから17時間のフライトののち、到着後はコロンビア大学病院に向かいます。無事アメリカに到着することができるよう、祈るばかりです。はなちゃん、頑張って!!」
出発の前日に発表された ご両親のコメントです。
「この度は娘、花愛(はな)の渡航移植に関し、皆様のご支援を賜りました事、心より感謝申し上げます。
明日(11月8日)、渡航に向けて出発致します。花愛の為に大切な時間を割いて活動して下さった救う会の皆様、 事務局や街頭募金活動を支え続けて下さった多くの皆様、ご支援して下さった皆様、SNS等で花愛の事を伝え続けて下さった皆様、花愛を取り上げて下さった報道関係者の皆様、本当に沢山の方々のお力添えがなかったらたどり着く事は出来ませんでした。
本当にありがとうございました。」
現在体調は落ち着いてはいますが、環境も大きく変わります。
小さな花愛には、渡航後も乗り越えなければいけない事がありますが、花愛なら絶対に乗り越えてくれると信じています。
自分の足で立ち歩く花愛に私達が感じている病院の外の世界を見せてあげたい、花愛の笑顔がこれから先も続くよう、夫婦で精一杯支え守っていきたいと思っております。
この日を迎えられたことに心から感謝申し上げます。元気な姿をお見せできるその日まで、見守っていただければ幸いです。
本当にありがとうございました。」
2016年11月7日 岩倉 永幸、雅子。
皆で はなちゃんに送った激励の寄せ書きには 私と セレッソ大阪 温井 駿斗選手のツーショット写真を使わせてもらいました。
以下は 11月5日に はなちゃんのご両親から私宛に届いたメールです。
前書きの部分は ご協力をいただいた セレッソ大阪に係わる全ての方々に向けたものだと思っています。
セレッソ大阪選手の皆さん、スタッフの皆さん、セレッソサポーターの皆さん 本当にありがとうございました。
「(ぐるぐる)様、 突然のメール失礼いたします。
花愛の両親です。セレッソ大阪様での募金活動に多大なるお力をお貸しいただき、ありがとうございました。見ず知らずの娘のために本当にありがとうございます。私たちの気持ちです。お読みいただけたら幸いです。
この度は、娘、花愛の渡航移植費用に関して、皆様の温かいご支援を頂き、目標金額を達成できましたこと、心より御礼申し上げます。」
6月13日の記者会見から3ヵ月半、2億8千万円以上の想像もつかない莫大な金額にも関わらず、数え切れないほどの温かいご支援ご協力を頂き、花愛の命を繋ぐためのスタートラインに立たせて頂くことが出来ました。
3ヵ月半もの間、夏の暑い日差しの中、お天気が悪い中、貴重なお時間を花愛の為に割いて下さり、声を枯らしながら、募金活動を行って下さった皆様、ご支援して下さった皆様に、伝えても伝えきれない程の、感謝の気持ちでいっぱいです。
私達夫婦が、未来を信じ前を見続ける事が出来たのも、皆様の支えがあったからこそだと思います。
本当にありがとうございます。姉の幸々花(ここな)を失い、花愛の病気が分かってからの私達は、悲しみのどん底でした。どんなに泣いても願っても、幸々花は戻ってはきません。
今でも最期の時の事が忘れられません。腕の中で冷たくなっていく娘の姿は2度と見たくありません。
花愛まで失いたくないという、私達の勝手なお願いに耳を傾け、ご支援して下さった皆様。本来ならば、直接お会いして、御礼申し上げるべきかと存じます、メールによるお礼となり申し訳ありません。
花愛が安定した状態で渡航出来るよう、今以上に花愛を支えて参ります。どうか温かく見守って頂けたら幸いです。
最後に、ご支援ご協力下さいました皆様に、改めて御礼申し上げます。誠にありがとうございました。」
岩倉 永幸、雅子 親族一同。
その後… 現地時間 2016年11月11日。
アメリカのコロンビア大学病院より お母さんの日記
「アメリカでの心臓移植者 待機リストへの登録が完了した事を報告させていただきます。今後はドナーの方との巡り合わせを待つ事になります。」
2016年11月30日
「昨夜遅くに 再び ICUに移りました。ポンプの中に危険な血栓ができて 補助人工心臓のポンプを交換します。
はなの血管は細く、度重なる採血や点滴で入れることの出来る血管が少なくなっています。何度も刺し直し、泣き叫ぶはなには申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ポンプ交換の間は、補助人工心臓の機械の力を借りる事が出来ず自分の心臓だけで頑張らなければいけません。無事に手術を終えたはなの顔を見て 心から安心をしました。
心臓移植手術の日まで体調を崩さずに過ごしてくれる事を祈るばかりです。」(抜粋)
2016年12月17日 はなちゃんのお母さん日記。
「はなですが、先週末から体調を崩し嘔吐を繰り返すようになりました。ここ数日はむくみもみられ、現地時間の17日の朝、容態が急変し ICUに移動となりました。
チアノーゼが強くみられ、呼吸状態が悪化し、酸素の値も60パーセント台まで下がっていました。
吸引チューブからは大量の血液が引け、見る見る顔色の悪くなる我が子を前に、何が起こっているのか理解することに必死でした。」
原因として、水分のインアウトのバランスが崩れ肺に水が溜まり肺が膨らまなくなってしまったこと、その為に充分な酸素が取り込めなくなってしまった事が考えられると説明を受けました。
現在は、肺が膨らむよう交流量の酸素投与を開始しましたが、呼吸状態が悪く、心拍数も速い状態が続いています。
点滴を刺すのも困難になってきており、中心静脈カテーテルを入れる処置をし、点滴による投薬を行っています。
こんなにも頑張っている はなに、親として何もしてあげることが出来ず ただただ悔しい気持ちでいっぱいです。
ここまで頑張ってきた娘を信じ、祈ることしか出来ません。
はなを応援して下さっている皆様。どうか一緒に祈っていただけないでしょうか。 お願いばかりで、本当に申し訳ありません。」
私、はなちゃんのために祈りました。そして、皆さんが 2016年12月17日に この note記事を 読んでいたら きっと はなちゃんのために 一緒に祈って頂けたと思います。
その後、日本にいる私たちには はなちゃんの状態が分からない時間が続きましたが はなちゃんは大丈夫でした。
2016年12月24日
「先週の土曜日から点滴での利尿剤の投与を開始しました。1度に大量の水分を引いてしまうと、補助人工心臓のポンプの駆動に影響が出たり血圧を低下させてしまい危険であった為、徐々にお薬の量を増やしながら水分のコントロールを行っています。
そして今日は日本もアメリカもクリスマス。来年は、お家で家族一緒に過ごしたい… 家で過ごす幸せを、はなにも感じさせてあげたいです。」
2016年12月30日
「感染症はまだ陰性にはなっていませんが、熱も下がり呼吸状態も安定した為、一般病棟に移ることが出来ました。 皆様には、ご心配をおかけしてしまいすみませんでした。 」
2017年1月5日 はなちゃんは 1歳の誕生日を迎えました。
「アメリカの病院でも、多くの先生や看護師さんが 「Hana! happy Birthday!」と声をかけて下さり、看護師さんやチャイルドライフの方が綺麗に部屋の飾り付けをして下さいました。
不安でいっぱいだった10ヵ月。はなに会うことが出来、本当に嬉しかった事を覚えています。」
「はなに出会えたこと、はなを抱っこ出来たこと、全てが当たり前の事ではなく奇跡の連続であること、この1年たくさんの事をはなが教えてくれました。
2歳、3歳とこれから先も、一緒にお誕生日を迎えることが出来ますように… 生まれてきてくれて、本当にありがとう。」
2016年が終わり 2017年を迎えましたが まだ はなちゃんが心臓移植できるドナーさんは 見つかっていません。
日本人であり 成長が早くはない はなちゃんは 欧米の人たちに比べると とても小さい身体なので 適合する心臓が なかなか見つからないのかも知れません…。
しかし これまで 数々の奇跡を起こして 命の尊さを教えてくれた はなちゃん。皆が応援しています、がんばれ!!
<🌸 次回に続きます。>
1⃣ あなたは『 はなちゃんを救う会 』を知っていますか ? ~ 小さな命を救うために行われた 募金活動の話。
2⃣ あなたは『 はなちゃんを救う会 』を知っていますか ? ~ 時間との戦いだった募金活動の話。
3⃣ あなたは『 はなちゃんを救う会 』を知っていますか ? ~ ファン感謝イベントでの募金活動の話。