メキシコの先住民の文化と民藝が、想像以上にすばらしすぎたこと(1)
2週間あいてしまいました……。しばらくメキシコを旅していて、旅のあいだはヒマがたっぷりあるだろうーという当初の予想を覆し、毎日がひたひたに満ちていて、ものを書く時間がありませんでした💦
帰国してからもメキシコロスが激しくて、いまだに重症です。。
とりあえず、、前回の投稿でつくったフェルトのお財布は、2週間の旅のあいだ、軽やかに役立ってくれました。真っ白いフェルト製なので、汚れるか―と思ったけれど、意外とそこまでの汚れもなく。毛羽立ちが少し出てきましたが、気になるほどではないです。
△二週間使い倒した、フェルト製の自作財布。軽くてよかった!
自作のミニショルダーも、旅のあいだ毎日使いました。ショルダー仕様にしたり、ウェストポーチ仕様にしたり臨機応変にできて便利でした😊。相方も、ウェストポーチ化したTimb.テープのミニカバンを毎日使ってくれました。かなり重宝したそう!よかったです。
△プラカゴ素材の自作ミニかばん。ショルダー仕様時。
▽Timb.テープの自作ミニかばん。ウエストポーチ仕様時。
どちらも軽量で、お財布、スマホ、パスポート、ペン、メモだけ入れておくのに便利でした。
■西欧ともアジアとも違う、別レイヤーの文化圏
さて、メキシコではメキシコシティとオアハカに滞在したのですが、行ってみて、「メキシコ」や「ラテンの国」のイメージががらがらと崩れ落ちました。
想像していたのは全然違う、西欧ともアジアとも違う独自の一大文化圏が広がっていることを感じました。以前台湾の音楽をきっかけに「中華圏にはまた全然別レイヤーで一大文化圏があったのかー!」と実感したことがあったのですが、あのときと似ていた。
メキシコにも全く独立した「別レイヤー」があり。。。そしてそこにするりと滑り込んでみると、なぜか、魂の里帰りをしているかのような気持ちにさえなりました。
メキシコ滞在中、囲まれていた空気を言葉にするなら、穏やかさ、静かな機嫌のよさ、お互いへの優しさ、対等さ(誰も”大きく”も”小さく”もならない)、丁寧さ、悠久の時間、という感じでしょうか。。以前ネイティブアメリカンの伝統について、地元の図書館の棚にあった本を手当たり次第読んでいたときに感じ取っていた質感と、とても似ていた。
乗り物の運転手さんも市場の露店の店主さんも、道行く人たちも、会う人会う人が、落ち着いた穏やかさの中にチャーミングさを宿しているのを感じました。
ラテン=陽気、とか、ラテン=時間にルーズ、というイメージとはあまりにも真逆な質。そして生活空間のいたるところに「用の美」と「ときめき」のベストバランスがあって、わたしの心はずっと、ひたひたと満たされていました。
■美しいことと手作りなことが、どちらもほぼ当たり前、のような。。
もともと影響されやすい体質であることは自覚してるのですが💦 そんなわけでこの別レイヤーに滑り込んでしまって以来、もとの場所に帰ってくるのが難しく。。
生きる上での優先順位が、くるりんと順序を変えちゃったかのような感じです。
そういうことが我が身に起きていることは、たぶん喜ばしいことなんだろうとはおもいつつ。。このnoteに何を書いたらいいんだろう。。それさえわからなくなっています。
これまでのように「暮らしの中の手仕事」について、メキシコで体感したことを書くとしたら。。かの地での手仕事は「暮らしの中にある」というよりは「それがすなわち暮らし」という感じがしました。
生きること暮らすことと、つくることのあいだに、心理的にも現実的にもギャップがほぼない感じ、というか。
そして特に先住民の文化を受け継ぐみなさんは、自分の手でものをつくること、その技術とセンスと伝統に並はずれたものを感じました。
△オアハカ民藝、手刺繍による花模様のシブラウス。フリーハンドで下描きをして刺すそう。
△オアハカ民藝、木彫りの動物たち。彩色のセンスがやばい。
△部屋の壁にかかっていた、この地でみんなから慕われている「グアダルーペの聖母」の小さな祭壇。ブリキ細工もオアハカではさかんです。
メキシコ南部にあるオアハカは、とくに街まるごとがアーティスティックで、それは「アーティスティックにしよう」としてそうなったというよりは、個々人の日常の美的センスが町全体にふつうに表れているだけのように思えました。
△街角のタコス屋さんの天井にはためく切り絵飾り、パペルピカド。
△朝食のテーブル。バターと地元産のジャムが地元産の焼き物皿に。籠も地元産。おそらくティータオルも。色の取り合わせがきれい。
△小さな常設市場内の荒物屋さんのディスプレイ。市井の人の色彩感覚。
△伝統料理教室の屋外キッチンにて、本日の材料(の一部)を並べたところ。左奥の緑の壺はチョコラテという飲み物をつくる器。丸い器はヒカラというひょうたんをくりぬいた器で、調理中もボウルとして多用されていました。輪っかに編んだ竹細工とセットにして使います。手前の緑の焼き物の器は、日本のキッチンなら大きいステンレスボウルに相当するもの。
△コンタクトインプロぽいダンスをしつつ道を北上していた、ストリートパフォーマー集団。6人の服装の配色がメキシコ的。
そして壁画がいたるところにあるのだけど、それらは単なるストリートアートではなくて、この地で繰り広げられてきた、一人一人の尊厳と大地を守るための闘いにおいて、社会的・政治的なコミュニケーションの場として役割を担ってきているのでした。
△2006年にオアハカで起きた民衆の蜂起をきっかけに結成されたLAPIZTOLA(”鉛筆ピストル”の意味)という芸術家集団による壁画。「やつらはわれわれを生き埋めにしたがった、でもわれわれが種であることを知らなかった」という言葉を基にした作品。「これまでメキシコで起きてきたすべてのことに言及しているのです、行方不明になった学生たち、特定の発言のおかげで殺害されたジャーナリストたち……。この絵の女の子は希望の象徴で、彼女の花咲く心臓は人々に希望を持ち続けるよう、勝ち取ろうとしてきた理想を見失わないよう励ましています。さらにこの壁画はわれわれのルーツを表してもいます。この子の外見はインディヘナ。メキシコではインディヘナに対する差別がかなりあります。事実上メキシコ人は全員インディヘナのルーツを共有しているというのにね…。インディヘナは社会的地位が低いと思っている人がいるのだけど、われわれはみんなに自分のルーツ、そしてひいては自分のアイデンティティに対して誇りを持ってほしいと思っているんです」(ミシガン大学GIEUプログラムのサイト「Oaxaca Arts」掲載のインタビュー記事より和訳してみた: http://oaxacaarts.com/painted-arts/lapiztola/ )
オアハカ州は、先住民の方々が多く住んでいて、そして手仕事がさかんなことで知られていて、郊外の村々ではそれぞれにさまざまな民芸品がつくられています。
みなさん暮らしの中でふつうに手仕事をされていて、それが産物になってきた経緯があるようなのだけど、「この村は木彫り」「この村は手刺繍」「この村は焼き物」「この村は染色と織物」といったように、村ごとに得意とするものがさまざまにあるようです。
そしてたとえば染色と織物がさかんな村では、女性だけでなく男性もみんな織物をするし、木彫りがさかんな村では男性だけでなく女性も木彫り細工づくりに携わっています。北欧や北海道では、織物は女性、木彫りは男性という感じがちょっとあったけれど、ここではそういう感じはないのでした。
先スペイン時代から、メキシコは多様な民族で構成されていて、それぞれに異なる言語・文化を持ってきていて。民族衣装はどの民族のものもカラフルですてきで、それぞれにはっきりとした特徴があります。得意とする手仕事も、昔からそれぞれにあったのかもしれない、と昔の暮らしを描いたディエゴ・リベラの壁画を見つつ思いました。
△メキシコシティのパラシオナシオナル(国立宮殿)内に描かれている、ディエゴ・リベラの壁画群より。スペイン人到来前の時代の暮らしを描いたもの。これは羽根細工やビーズ細工をする人々の図。
それぞれの得意分野が民ごとにあって、そしてそれらをお互いに交換してきた歴史が長そうでした。今も「ティアンギス」と呼ばれる市が毎週決まった曜日に決まった村で立つのだけれど、そこはかつては異なる村の人同士が物々交換で品々をやりとりした場だったんだそうです。
(2)に続きます😊
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ぐり と グリーンウッドワーク:https://guritogreen.com