小説「ぼくはわるもの」03
<杉山紫央>
五月、湿った風が机の上に置いた教科書のページをペラペラと煽っている。窓際の一番後ろの席というのは、教室にいるようでいない感覚に陥ってしまう。いてっ。耳からイヤホンを無理やり引っこ抜かれた。取り返してやろうと手を伸ばしたが、机の上に置いていた小型の音楽再生機の本体ごと奪い取られた。「杉山さん、これは没収します」国語の教師が不服そうな顔で私を見下ろしている。上木友美という気の強い女の先生だ。生徒からは、友美先生、と呼ばれ親しまれていて、地味で薄いのに整った顔立ちをしていて一部の男子生徒には高い評価を得ている。毎朝、校門前で生徒指導をしている上木勇人という体育教師の妻だということは、数日前に知った。
「授業が終わるまで、立っていなさい」
「え」
「え、じゃなくて」
「返してください、それ」
「今日の放課後、反省文を書いて、職員室に来なさい。そしたら返してあげます」
「え、反省文」馴染みのない罰に戸惑った。たぶん、この女は私を見せしめに使っているに違いない。入学して最初の段階で厳しさをアピールすれば、大概の生徒は従順になる。扱いやすい生徒を作る為には、罰を目の当たりにさせるのが手っ取り早いのだろう。私は教室を見回した。微かに女子の笑い声がしたからだ。少し離れた席の森蒼がニヤニヤと目尻を垂らして、こっちをみていた。少女漫画に出てきそうな童顔女子だ。このクラスで唯一、私に近づいてくる変わり者でもある。
「さ、立って。あなたに時間を取っていられないの」さっきまで聞こえていた女性ボーカルの柔らかくてハスキーな囁きは、力んだ女の鋭く甲高い声に取って代わった。
「杉山紫央さん、聞こえていますか? 罰としてチャイムが鳴るまで立っていて下さい」
私は立ち上がった。他の生徒に迷惑を掛けたり、妨害するつもりはない。そうしないように、大人しく音楽を聞いていただけだ。別に、授業の邪魔はしていないのだから、放っておいてくれればいいのに。
鉛筆が机を叩く音を聞き続ける退屈な時間が経過していった。一向に座らせてもらえる気配もない。みんな私が立たされていることなんて忘れてしまったかのように黒板に書かれた文字をノートに写し取っていた。先生も敢えて私には視線を送らないといった態度にみえる。「帰ろうかな」そんな思考が脳裏を過った。
机の横に掛けてあるペチャンコの学生鞄を掴んで、教室の出口に向かった。
「何してるの?」
「帰ります」
「戻りなさい」
上木友美が教壇から威圧してきた。みんなが振り返り私をみている。哀れむような軽蔑の目、目、目。
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