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兼六園「寄観亭」

行きやすさ  ★★★★★
マニアック度 ★★★★★
営業時間   9:00~16:00(夜間はライトアップ、観桜期のみ営業で要予約)
定休日    水曜日(年末年始、GW等特日は除く)

金沢の観光地No1兼六園の園内にある食事処とお土産屋を兼ねたお店です。
最寄りの入口は「桜ヶ丘口」、「兼六園といえばあの風景」の徽軫灯籠(ことじとうろう)の近く。

THE 金沢の風景。この背中側に寄観亭があります。

こちら創業明治7年の老舗。兼六園がお殿様の庭園から公園と正式に認可されてから営業されているお店です。

時は1919年(大8)の7月5日。
島清の処女作「地上」が発売されて一ヶ月。
その成功を祝う「地上の会」がこの寄観亭で催されました。

参加者は金沢二中、商業学校の同級生の同人仲間、詩人歌人に新聞社の学芸記者などだったそう。
数か月前まではぼろぼろの姿でいた清次郎が大家に認められ大手出版社デビューし小綺麗なスーツで輝かしく凱旋して地元の人達から祝福される至福の場…

しかし、島清が文学と出会うきっかけを作り、本の感想を交わしたり一緒に創作活動に勤しんだ親友の橋場忠三郎の姿はありませんでした。

というのも「地上」発売前の5月、出版は決まっていたものの原稿料や印税の一切は無い契約のため、相変わらずお金の無い島清が上京費用を彼に借りに来たのですが、あいにく忠三郎自身も厳しい懐事情で希望額を用意することが出来ず、それでもと親友の門出を祝って手持ち全てを渡したのですが島清は金額が足りない事に対して露骨に嫌そうな態度をとったのがどうにも気に食わず、「地上」出版後も祝いの手紙を送る気にもなれぬまま「地上の会」にも出席することなくそれを最後に親交は途絶えます。
後に雑誌上で募集していた作家への公開状コーナーに学生時代と変わらぬ友情を抱いて島清への忠告文を送りますが、これすらも島清が跳ね除けたことで完全に2人の関係は壊れ、以降島清が亡くなるまで彼の事は伝聞で聞く程度だったそう。
島清の作品や奇行に冷めた気持ちを抱きつつも入院を知った時は忠三郎もさすがに暗い気持ちになり「狂いさえしなければあのまま陥没してしまう人物ではなかった。最初にかち得た虚名を一旦捨ててしまって、妙な思い昂ぶりを捨てて、再出発を謙抑な態度で志したなら、真のすぐれた仕事を残し得たかも知れなかった」と書き残しています。

ここから数年続く人生の絶頂のスタートラインであり、同時に唯一の親友との決別という転落の綻びが垣間見える運命の転換点的スポットになります。

ぅぅっ…書いていて辛くなってしまいました……頭をよぎる島清の「自分への説法」

いけませんいけませんこういう時は美味しいものを食べましょう。

兼六園は以前「兼六公園」と呼ばれており当亭では当時うどん・そばを提供しておりました。 この度当時を振り返り少し甘めのお出汁に仕上げ「公園うどん」「公園そば」と銘打ち復刻版としてメニューに加える事となりました。 懐かしいお味をぜひ一度ご賞味くださいませ。

寄観亭公式サイト

とあります。
「兼六公園」と呼ばれていたのは1876年(明9)頃からと言われています。
また、1912年(明45/大正元年)に兼六園内の現在の時雨亭のある辺りに県立図書館(現ビブリオバウム)が開設されました。
「早春」で図書館に通っている様子が綴られているのでもしかしたら島清もデビュー前ここのお蕎麦やおうどんを味わったことがあるかもしれません。(お出汁の匂い位は嗅いでそう)
他にも名物「納豆餅」や金沢の伝統料理や甘味とメニューが幅広く取り揃えられています。

夜間ライトアップ期間中は無料開放されています。土日祝日のみ。
四季ごとにライトアップは開催されるのでお目当ての時期に行くのもよいかも

島清が見た風景と今も変わらぬ兼六園を散策しながら思いを巡らしてみるのもいいかもしれません。

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