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『加賀平野に芽ぐむもの』

靑い輝きが加賀平野の表面(おもて)にびく/\うねつてゐた。夕暮がしつぽりと空と地の間を流れて、村落の森わ薄赤くにじみ出る。夜がやがて黒々と光るのであらう。壯嚴な白山々脈の山峡にも、既に暗欝な陰影が、ぶるぶる憟(ふる)えはじめた。そして、平野の盡(つ)きる處、肥(ふと)つた砂丘の上に大海がぽつかりと、なだらかな線をむくりあげて、白い波頭が、線の上でふざけくさる。ぱつと散る泡沫に爛(ただ)れた太陽が眩惑する様な殷朱(注1)の色を投げつける。
 かくて、夜が黒々と光るのであらう!

『あゝ、寂しい。』

私わしかまるやうな(注2)悲痛に抱擁された孤獨の念(おも)ひを如何(どう)する事も出來なかった。犇々(ひし/\)と胸に染み入る自然の嚴肅壯麗わ、唯私の抱く孤獨をくつきりと際立たせるのみであつた。私は村と村をつなぐ細い路(みち)を辿つてゐる。何かこの俺の孤獨の殻を融かすものがあるかも知れない。――野良仕事を終へて、最後の陶醉を熱い晩餐の酒に夢みてゐる農夫達わ歡喜に躍つた。
『お終ひあすばし!』と交換(とりかは)した。姉さん被りの娘達わ赤い前掛けの紐をかみ乍ら、まつはり付く夕暮の湿氣をふりはなつて心ゆく許り『あはゝゝゝ』と笑ひさゞめいた。その笑ひ聲わ私の孤獨の心をちく/\と疼き廻はした。夕陽が赤くさあつと洗つて行く。

 路(みち)わ平野を流るゝ大河にさしかゝつてゐた。私わ橋の傍(かたはら)に十二三頃の村童(こども)等の群ががやがや喋舌(しゃべ)つてゐるのを見た。日に焼けた黒い顔の筋肉に感激がむくむく動いてゐる。村童等わ手に手に石塊(いしころ)を河の向岸へ投げ付た。私わ飛んでゆく石を追うて、河の向岸に最(も)一人の子供が、蘆(あし)の葉陰に青白い顔に、憎悪と復讐の大きい眼を輝やかしているのを見た。

 私わ村童の群の一人に近付いて、

『何んしてるのかね。――おや君わ左の手で石を投げてゐるね。可笑しいぢやないか。』

 と大人に對するやうに眞面目に尋ねた。如何(どん)な事でも眞面目くさつて話すのが子供に接近する捷徑(ちかみち)だ――少くとも我が愛する加賀平野の農民の子にわ!

『芳まわぎつちよ(左利き)やがい。』

 他の一人が言つた。其瞬間一つの石がひゆうつとうなつて來て、左利きの子の肩をかすめた。河の向側で小さい眼が燃えてゐる。

『汝等(わっら)、やるまいかい!生意気な。』と皆わ叫んだ。そして、其處らに轉がつてる石を手當り次第投げ出した。空氣わ石で渦巻き返つた。其時、向側の子の投げた一つの石が私の胸にばつたり當つた。

『お前そん(注3)を覗(ねろ)うとるがや、お前そんわ金澤の士(人)やろんが。』と皆わ私を見かへつた。
『汝等(わっら)投げや!』そして子供等わどつと叫んだ。石が河中へ落ちる度に暗い河面が躍つた。

『如何うして、かう喧嘩を初めたのかね。』
『彼(う)ぬあ、穏坊(注4)の子や!此間も俺(わし)ん所の水瓜(スイカ)を盗つてつたがい。』
『村の菜園田の作物(もの)を皆な役せんがにしてしまうた。』
『穏坊の子や!』
『ほう、』
『そら!彼(う)ぬあ、又、お前そんの背中へ石を投げつろ!』

子供達わ注意した。私わ向側の子供が何故私に石を投げるのか分らなかつた。不思議な同情が私の胸にわいてゐた。私わ橋を渡つて眞直(まっすぐ)に其子の傍へ行かうとした。

『金澤の小父さん、氣い付けんとお前そんわえらい目に遭ふぞ!』

子供達わ口々に叫んだ。

 其子わ目じろぎもせず私が橋を渡り切るのを待ち構へてゐるやうだつた。近づいて熟視(注5)るとその子わ小さいしなびた肉体(からだ)で、黒い大きな眼をうるませて、凝つと私をねらめてゐた。ぼろぼろの兵隊シャツを着て足わ跣足(はだし)で黒く脂じみてゐた。私わ黙つて其子を見すゑた。大きな動悸が私の靈(たましひ)をぶちのめしてゐる。

『俺(わし)や一人や、彼方(あっち)や村中(むらぢう)や!』と子供わ不意に言ひ出した。
『君わ私に故(わざ)と石を投げたやうだね。』

 子供わ暗い顔をして黙つてゐる。

『如何うして君わ私に石を投げたの!』

 自分の憂欝病(メランコリー)を醫す(注6)ために、この夏休みを近くの村に生活(くら)してゐる自分でわあるが、嘗て私わ此邊(このへん)へ來たことがないのである。子供が私を知つてゐるわけもない――。

『何や!』

子供わ苛々して聲をあげた。眼から閃く復讐的な光わ、憟(ふる)えながら静寂な薄暮の空氣に消えて行く。

『私わ君をいぢめに來たんぢやないのだ。』

 泪つぽい蔭が心に射した。私わ踵を回(かへ)した。
『金澤の士(者)がなんに成るい!』と子供わ後から浴びせかけた。
三歩とも歩かない間に其子の投げた大きな石が私の背中にづしんと當つた。其反響わ私の心の中の何かをぐらぐらとゆすぶつた。優しく何かゞほぐれて行く。

『君に、何か悪いことをしましたか。鼻却(注7)でせう。ね。』

私わ不思議な程穏やかに言へた。其子わ、又、私の顔を目蒐(めが)けて石を投げた。眼が泪で赤くうるんでゐる。そして、私が今にも飛び掛かつてねぢ伏せでもする様に黙つて挑戦の態度で堅くなつてゐた。私わシャツの破れ目からやせた肩を露出(だ)して力んでゐる姿を見てる間に、思はず吹き出してしまつた。

『何や!』

私の笑つたのを見ると、彼わ狂犬のやうに私に飛びかゝつた。そして、矢庭に私の小指に喰ひ付いた。血管と云ふ血管に一時に鐵の棒をねぢ込んだやうに、私の心肉を疼痛(いたみ)がさつとつき抜けた。

『あ、痛つ!』と叫び乍ら私わ子供をもぎ取つた。
たらたらと血潮が滴つた。私わ片方の拳でしつかと小指をおさへて、私の前によつて、私の小指にのぞき込んでゐる其子の眼!ああ、其時私の胸の黒い堅い殻が破れた!ぞくぞくする喜悦と感謝が私の胸にみなぎつた。私に茫然立つてゐる子供に、思はず『寂しいのかい。』と口走つた。
其子わはつとして私の顔と、だらり、だらり滴る黒血を一分許りも見比べてゐたが、わァと泣き出して一さんに逃げ出した。平野をつらぬる白い路を子供の泣き泣き駈けて行くのが長い間見えてゐた。私わ暗くなつた緑靑(ろくしょう)のやうな加賀平野のうちにめき/\と育つ何物かを感じた。

(完)
初出・底本:『万朝報』(1916年年8月28日)

(注1)【殷朱】「朱殷」の間違い。読み:しゅあん、意味:黒みがかった赤。黒ずんだ朱色。赤黒色。
(注2)【しかまるやうな】「顰(しか)む」の活用形。顔、額の皮が縮んで皺がよること。
(注3)【お前そん】読み=おめそん、意味=あなた、おまえ。
(注4)【穏坊】被差別者の蔑称。今日では不適切と思われる表現ですが当時を鑑みる歴史的資料としてそのまま使用しました。
(注5)【熟視る】読み方:みつめる。意味:つくづくと見ること。
(注6)【醫す】意味:病気を治す。心の傷などをなくす。いやす。
(注7)【鼻却】「冗談」の意味で使用か?「じょうだん」と読ませるか。

1916年春、清次郎17歳の時に母親が再婚相手と離縁し母子で金沢市元車町(現在の長土塀2・3丁目)に転居して以降の期間に書かれたと思われる作品で、日刊新聞『万朝報』の懸賞小説に応募して清次郎は10円の賞金を得ています。
「清三郎」名義なのは誤字なのか投稿時のペンネームだったのかは不明。
被差別部落の子供が石を投げるシーンはこの作品以降に書かれた「地上第二部」など形を変えて複数作品に登場しています。

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校正は徳田秋聲記念館前館長の上田正行先生にお願いしました。お忙しい中ご対応いただき、ありがとうございました。

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