
夏とは青春である
夏が好きである。
愛おしい季節だと思う。太陽が明るい。アイスがおいしい。キムチ鍋もおいしい。
この世の春、なんて言葉があるけれどなぜ春なのか。夏でいいじゃないか。
夏の定番曲についてnoteを書くと何かもらえるかもしれないので今回も挑戦することにした。
5記事書けるかは微妙だが、何事も挑戦する気持ちが大切だ。
表題の「夏とは青春である」だが、ゆずの「夏色」なんて最たるものじゃないか。青春。自転車のブレーキ握りしめてゆっくり坂を下るアレ。
私はゆずの夏色より青春している夏曲を、3年前に見つけた。
仕事中に聞いたUSEN(店内BGMなんかのあれだ)で聞き覚えのある声がしたのだ。
その曲がこちらである。
常盤ゆう「むげんの夏」だ。
常盤ゆう氏は音ゲー界隈で有名な女性ボーカリストだ。
いや、きっと他のところでも有名なのかもしれないがオタクの身の上、音ゲーで彼女の声を聞く機会が多かったのだ。
KONAMIの音楽ゲームでは彼女の歌う曲がプレイできる。
私がこの曲の中で一番好きなのは歌詞だ。
夏であることをこれでもかと教えてくれるだけじゃない。思春期なのだ。
「りんご飴をかじった」「きみの三つ編みつかんだ」と、ワードのどれもにいら立ちのようなものを感じる。
これは思春期。
そして、この歌詞はふたりの気持ちがそれぞれ描かれているのではないだろうか。
女の子が「りんご飴をかじった きみにバレないように」のパート、男の子が「サイダーガブ飲みして きみの三つ編みつかんだ」のパート、と交互に読んでいくとなんとなく意味が分かってくる。3年聴いていて今気づいた。
意味通らないなぁと思って雰囲気で聴いていたのがこの記事で明らかになった。
「無限の夏にずっと 迷い込んでる ふたりでいたいよ」のフレーズがモラトリアムを思わせる。無限の夏の中、ふたりの思いが交差する。
そして夏も、子供の時間も終わっていくのだ。
モラトリアムとそれに伴うやるせない空気は最後、本当の諦めに変わっていく。
「大人になってく ひとつずつ決めなくっちゃ」
「ねえきっとこの先 ぼくのいない 夏がくるんだろう」
いつか、この時間は終わる。永遠なんてこの世に存在しない。
夏はいつか終わる。子供の時間も、モラトリアムもいつか終わるのだ。
大人になった私たちはそんなことわかりきっている。
しかし、Jポップの中でここまで言及するのか、という気持ちもある。夢を見させない。夢を見る余地がない。
ふたりの来年の夏は不確かである。だからキスをするのだろう。
「傷になってもいい」のはこの時間を、変わっていく自分たちそれぞれの永遠にするために必要なことなのだ。
爽やかな夏らしい曲調と、少年のような声、そしてこの現実的な歌詞がこの曲の魅力だ。夏の青春を謳歌するふたりは海を目指す。きっと忘れないだろう。このふたりの関係が終わっても、夏にふたりで海を目指したことをずっと忘れないだろう。
大人になったふたりがこの夏のことを忘れないと思い込むことが唯一、この曲を聴いている私に対する救いなのだろう。
おとぎ話の最後にある「ふたりはずっと幸せに暮らしました」と対極にあるキラーフレーズが、眩しくない青春を過ごした私の心にグサグサと刺さる一曲だ。
フジファブリックのリップルズ「若者のすべて」は秋の歌なのか?夏の終わりは夏なのか?ゆずの夏色は歌詞からして8月の終わり頃だろう。ならほぼ秋じゃないのか?
その点この曲はタイトルから歌詞まで、夏たっぷりである。
ならば、今後この曲が夏の定番曲になる日だって来るだろう。いつか。多分。
興味が湧いた方は、常盤ゆう氏の音ゲー曲も視聴してみるといいかもしれない。おすすめは少年リップルズだ。