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あずまんが大王の推しは大阪

あずまんが大王という漫画をご存じだろうか。
アラフォーの二次元大好きヒューマンはご存じだろう。
私はアラフォーの二次元わりと好きヒューマンなのでご存じである。
コミックはゲッサン版しか持っていないが大好きである。絵柄が所々よつばと!の絵柄になっている。

大阪がかわいい。

アマプラで全話無料が来ていたので思わず一気見してる。
ちよちゃんもかわいい。
そもそもどのキャラクターもかわいい。木村以外。
かつて女子高生だったことがあるが、女子高生はこんな生き物ではない。
二次元の女子高生は本当にいい。三次元がダメなわけではないが、二次元の女子高生には「女子高生ではなかった存在たち」の理想の女子高生が詰まっている。つまりオッサンやお兄さんの思いが詰まった女子高生なのだ。
この手の漫画やアニメは好き嫌いが分かれると思っている。私は大好きである。偽物の女子高生は本物の女子高生よりも尊い存在になりえるのだ。
まず、あずまんが大王において「下ネタ」の少なさ。胸の大きさについて言及する部分は多いが今から20年以上前の漫画原作、20年前のアニメであることを考えるとリテラシーが極めて低いとも言い難い。木村以外。
もうすでに2回名前が出てきた木村だが、国語教師である。「女子高生とか好きだから」教師になった男だ。ちなみに美人の妻もいる。女子高生に対する偏執的な情熱以外は良識のある、聖職者らしい振る舞いをする男だ。妻子持ちで妻は天使のような、子も利発そうなお子さんである。
しかし女子高生が好きすぎて文化祭の水泳部の出し物で「使用後のプールの水」を要求するなどちょっとダメな癖が出てしまうのが玉に瑕である。玉に瑕というかもうどうしようもないところである。ほかの部分でキツイ表現が少なく感じる分、木村にすべて集約してしまったのでは?と思っている。
いきなり木村の話を長々としてしまった。
この物語は木村の物語ではない。
女子高生たちが入学して、仲良くなって、卒業するまでの物語である。
こんな青春は送らなかったけれど、こんな青春を送りたかったし、こんな青春を送った部分があったのではないかと錯覚させてくれる作品だ。
暴れ回る智とそれに振り回される暦、どこまでもマイペースな大阪、右往左往するちよちゃん、ほのぼのマイワールドを貫く榊さんと、全体的に筋肉でできている神楽。
この作品はただ女子高生がキャッキャうふふしているだけではない。
空気を全く読まない智に対してのイライラは隠さないし、嫌なイジられ方をしたちよちゃんはきちんと年相応に怒る。それでも彼女たちの友情は壊れない。
少しドライにあっけらかんとした友人同士の関係を続けている。理想的な友情だ。
同じタイプと言うと語弊があるが、大阪万博に寄稿したあらゐけいいちの日常もこのセオリーに則っている。日常の方がシュールであるが、ここでは置いておこう。ちなみに日常も大好きである。寄稿されているあらゐけいいちの漫画はほぼ日常だった。

美浜ちよの存在はどこまでも異質な存在だ。
一緒に授業を受け、お弁当を食べ、夏休みにはみんなで別荘で遊ぶ。そこに年齢の分け隔てはない。しかし彼女は小学生の年齢の高校生なのだ。
「ちよちゃんの一日」から始まる一連のアニメ12話は心の動きがよく見える。ネガティブな意味ではなく、自分の選んだ進路とifの狭間に存在する美浜ちよが垣間見える。ちょっと大げさだな。表現が。
しかし、朝の通学路で自分の年齢と変わらない小学生の友人に出会ったとき、そのあとを走るきっとちよちゃんより年下の小学生が「待ってー」と走り去るのを見るとき、うっすらと懐古的な眼差しを向けるのが印象的だ。
懐古的というほど時間的な距離が離れているわけではないのに、決して戻ることができない場所を眺めているように見受けられる。
いつものメンバーが持っていて美浜ちよが持っていないものはたくさんある。
この一連のストーリーの中で「お二人は小学校から一緒です」「プールの真ん中は深くて足が着きにくい」「みんなが深夜のテレビやラジオの話をしているのを聞くとちょっと羨ましい」美浜ちよが持っていないものが一日を通して可視化される。
私がこのストーリーの中で一番好きなのが「なわとび」だ。
「なわとび」で定吉さんの散歩をしているちよちゃんと榊さん。夕暮れの公園で縄跳び遊びをする小学生たちに出会う。ちよちゃんが縄跳びをする一団を眺めていると、榊さんが「散歩の途中だけど」と縄跳びをしようと持ち掛ける。
榊さんとちよちゃん、定吉さんの三人(二人と一匹)でなわとび遊びをしているところにいつものメンバーが現れる。懐かしいな、東京のミミズを見に来た、誰が縄を持つ、とやいのやいのしてちよちゃんと智が縄跳び勝負をしてこのシーンは終わる。
この話で縄跳びをする時、智は「ちよすけ!勝負だ!」と発言する。この発言が美浜ちよは「ここに存在して然るべき」という気持ちにさせてくれる。
小学校から一緒に進級してきた友人は同じラインにいなくても、まだみんなより背が低くても、夜はすぐ眠たくなってしまっても、同じ土俵で縄跳び勝負を仕掛けてくる友人がいるのだ。智が小学生のようなメンタリティであることはここでは美しいものとして受け取っている。
美浜ちよは持たざる者ではなく、これから持つ者なのだろう。それはもう、たくさんの思い出もたくさんの友人もたくさんの経験も得るのだろう。

実際のあずまんが大王は全く重くない、シリアスさのないコミックである。
ただこのストーリーの美浜ちよだけ、ちよちゃんではなく美浜ちよなんだよな、という気持ちになったので記事にしてみた。
ここまで記事にしているのはアニメ版だが、ゲッサン版では2巻7月が「ちよちゃんの一日」となっている。
こちらは四コマではなく、淡々とちよちゃんの一日が流れていくストーリー漫画の構成になっている。最近のあずまきよひこ作画かわいい。
タイトルでは推しは大阪と言っているが、実際みんなかわいい。強いて言うなら、大阪であるくらいの認識でお願いしたい。
よく考えたらよつばと!もよつばは日常に紛れる異質な存在だ。もうここでこの話はやめておく。
なんだかものすごく思ったことを言語化するのに時間がかかった。それくらいなんだか胸に迫ると言おうか「あっ今のちょっと切ないやつ」みたいな瞬間がほのぼの日常ギャグの中に散らばっている。撒菱が撒いてあるアニメだ。
まだ観たことがない人はアマプラで無料の機会に是非、そしてコミックは多分電子もあるだろう。何らかの方法で触れていただきたい。
皆さんもぜひ、日常ほのぼのアニメの金字塔を。

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