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私事ではありますが62

やっぱりネタにする元気あるんじゃないか、と謗られても構わない。

長男猫はステロイドを打ってもらったからか水をよく飲む。そしてご飯も食べる。
飲めない食えないになると本格的にいよいよか、と思ってしまうので少し安心してしまう。

私事60を見たら「山場は越えたのかなぁ」なんて呑気なことを言っていたけど全然じゃねぇか。

病院を受診してから私はというと泣いてばかりである。
泣きすぎて朝起きると人相が変わっている。
目元が違うせいか、フェイスIDが使えない。ここまでくると最早別人である。

夜中に夢を見て目が覚める。
長男猫が吐く夢だ。
同居人氏とお菓子を食べていたら、仔猫のようになった長男猫がフードと水を吐くのだ。
病院の先生に連絡しなきゃ、と長男猫の背中をさする夢だった。
生まれて初めて夢が恐ろしくて目が覚めた。
口を開けて寝ていたのだろう、喉がカピカピに乾いて水を飲んだ。
長男猫のお気に入りスポットを見ようと思ったが暗くて見えなかった。
布団に戻ろうとしたら「あーん」と声がして長男猫が暗い中現れた。
私は暗い居間で長男猫を撫でる。「起こしてごめんね」と言おうとしたら涙が出て全ての文字に濁点がついた。
そうしているうちに、他の猫も集まってきた。
何事だ何事だ、といった様子である。
長男猫が座り込んだ私のそばで香箱を組んだので私もそこで寝ようと思った。
床に横になって長男猫の長い尻尾を触る。
しばらくすると長男猫は起き上がり、少し離れて布団のある部屋の方を向いた。
「布団で寝ろ」と言われた気がした。
泣きながら布団に入ると長男猫は私を寝かしつける時の場所について、またしばらく香箱を組んでいた。
気がつくと私は泣きながら眠っていた。

朝起きて身支度をして鏡を見ると、また目が開かないくらい腫れた顔をしていた。
古田新太にちょっと似ている。

もう宗教に縋ろうか、と昨日考えた。
そもそも、宗教とは人の力でどうにもできないことのためにあるのだ。
体質的には仏教がいいだろう。大学で少し齧った知識がある。

しかし猫のための宗教は虹の橋くらいしかないのであった。
仏教ったってキリスト教ったってイスラムもヒンドゥーも人間のための宗教だ。
虹の橋だって人間のための宗教じゃないか、と書いていて気づく。

猫には猫の宗教があるんだろう。
もしかしたら世界が、文明が終わる日に世界中全ての猫が空を見上げ、猫の神に祈りを捧げるのかもしれない。

いや、しかし猫と離れることになる人間のための宗教はあってもいいだろう。
それが虹の橋か……。元に戻ってしまった。

宗教についてはいつか折を見て記事にしたい。

心が苦しいので障害の受容過程を調べる。
たしかあれは死の受容過程と被ってた気がして。
死の受容過程もほぼ一緒だった……。
結局そっち調べるんかい。

今自分がどこに立っているか知ることは重要だ。
受容過程を読んだからって何かがよくなるわけではない。
しかし私がしっかりしないとならない。と思ってはいる。

昔ちょっと勉強した初任者研修の知識がこんなもころめ役に立つとは。
介護の仕事はすぐ辞めてしまったけれど、こんなところで活用するなんて夢にも思わなかった。

なお、知っていたから今の気持ちが落ち着くわけではない。

ああ、バランスの取り方が難しいな。
スピリチュアルだ宗教だ方面に行って長男猫に虹の橋の話でも読み聞かせてやりたい気持ちvs本猫がその宗派かわからない気持ち。
そして多分長男猫は死ぬことも死んだ後のことも怖くないだろう。怖がってるのは人間だけだ。

いや、私が本当に恐れているのは喪失についてだろう。
都合よく猫のために私は泣いてるなんて思うなよ。
己がこれから経験する喪失にうまく向き合えないだけだろ。

こんなに理屈っぽいことを言ってもどうにもならないのだ。

そして私には書くことしかできないのであった。

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