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私事ではありますが70

もう70。

コトラーの遺骨を納めている箱は、桐の小さい箱だ。
肉球の焼印がしてあって、向きをきちんとしないと閉められないと葬儀屋さんが言っていた。
今、その箱のケース?を編んでいる。
昔買ったけど何に使うか微妙な量の化繊の毛糸で、赤い糸と白い糸が撚ってある糸だ。
編み始めると、なんだか牛カルビみたいな感じになっている。
さらに編み進めると、なんだが今度はアメリカの牛肉みたいに見えてくる。
糸のチョイスを失敗したような……。
生前のコトラーは首輪を嫌い、じゃあシュシュなら、と思って着けたシュシュは帰宅後トイレで発見されるような猫だった。
これからはどんどんかわいい遺骨カバーを作ってやる……そしてオシャレさんにしてやるんだから、とふんわり誓ったのであった。

ちなみに編みかけ(あとは綴じはぎと襟で終わる)のセーターと「モチーフいっぱいのカーディガンとかかわいい!」とモチーフを編んで満足したものからは目を逸らしている。

綴じはぎと糸始末が一番苦手。

久々の歯医者さん。
偏見だが、歯医者さんはなんか怪しげなものを置いていたりするイメージだ。
ちょっと怪しげなチラシが貼ってある。
うーん怪しげ。

お腹がぺこぺこになりやすい。

ペットをロスしているのでnoteのおすすめにペットとの別れの記事が出てくる。
気が向いた時に気が向いた記事をチラッと見る。
別れ方は色々だ。
何ヶ月も闘病して……というものが多い。
幸か不幸か(ロスしているので不幸だが)コトラーの病気が発覚してから、いなくなるまでの期間は極めて短かったように思う。
1ヶ月半ほどの闘病生活だった。
あっという間だった。
きっと1年闘病したって3日だってあっという間だろう。
悔いが残るか、と聞かれればわからない。
しかし自分で選んだことしかなかった。
助言を求めたことも、見かねて助言してくれた人もいた。
全て正解で全て間違いなんだろう。
ただ、毎日の中で思い出して存在を確認するのがこれから私にできることなんだと忘れないでいよう。

コトラーの薬の空袋が出てきた。診療明細も。
本猫はもういないのに存在だけが強調されて泣いてしまった。
そうなんだよな、いたんだよな。
この薬最初は効いてたんだよな。でも効かなくなっちゃったんだよな。おいしくない薬だったんだよな。
次の薬は「味の悪い薬じゃない」って先生言ってたね。
目薬はずっと嫌いだったな。
お前はもういないのに、どんどん寒くなっていくんだよ。いやだねぇ。

辛い気持ちになっているのはホルモンバランスの乱れと天気の乱れだとわかっているけれどなんともならねぇや。

今日も今日とて仕事である。
夕飯はなんにしようか。

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