つくし
今日、庭でつくしに目が向いた。ふと、私は声を漏らした。
「お前たちは良いよな、どこかしこでも芽吹いて。物凄い数いて、みんな種として完成されてて、落ちこぼれなんて存在しなくて、みんなみんなこうやって出てくるんだから。」
ここまで言ってから、私は何をしているんだ?!と強く思った。
傍から見たら気でも狂っているのかなどと思われるような発言だったと思う。
しかし、もう異動してしまった国語の先生の言葉が頭に引っ掛かった。
「よく考えてみろ、いくら詩とはいえ雲に向かって『おうい雲よ!!』なんて叫ぶって相当な奇行じゃないか?木々の揺られている葉っぱ1枚1枚に対して『ああ、きれいだなぁ』とか言って生活してるってさ...気が狂ってるんじゃないのって思うよねwww でも、詩人っていうのはそういうもんだ、みんな自分自身にしか見えていない世界が個人個人にあるってこと。」
はっ!!!これが私だけの世界。私にしか感じ取ることの出来ない世界。
素晴らしいじゃないか。
そのことに気付いてから、もう一度つくしに視線を合わせる。
もし仮に、つくしも今目に映っているのが成功した人間のように、ごく数パーセントの選ばれし存在なのだとしたら?
さっきはみんなこうやって出てくるなんて言ったけど、詳しいつくしの芽吹く確率なんて私の知ったことではない。
つまり、私達の目に映るつくしなど、ごく数パーセントでしかなくて、本来のつくしの数は遥かに多いのだとして、人間社会のように、埋もれている見えていないつくしを踏み台にして生えてきているのではないか?
自分だけの世界でいろいろ考えていると段々楽しくなってきた。
と、同時に切なくもなってきた。
別に自分の立てた考察が正しいわけでもないのに、
「私達と一緒だったんだね...」と、埋もれてしまった(のかも知れない)つくしに対して『羨ましいなんて言ってゴメン...』なんていう存在するかしないかもわからないつくしに対するシュレディンガーの感情が出来てしまった。
たかだかつくし一本にこんなにも発見があるなんて、思ってもないことだった。だがしかしこういう日々の何らかの気付きが創作の取っ掛かりになるんだろうなと思った。現にこれを書いているわけだし笑笑
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これを読んだ人の中にも、自分だけの世界ができたら素敵だな、なんて思ったりしました。ぜひ、あなたの世界も私や大切な人や世界中の人にでも、見せてあげてください。
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