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娘の冒険

子供ができる前、私は子供のいる生活に中々前向きになれなかった。

ぼんやりした憧れと好奇心はある。
だけどSNSやニュースをみると「子育ては大変」が沢山並ぶし、お金や仕事のこと。そして何より(この私に子育てが…?!)自分の自堕落な性格を知っているからこそ自信が持てずに長い間躊躇していた。

実際子供が産まれてみると、もちろん大変なことはあるけど逆に楽になったことも沢山あった。子供は作るのか作らないのか、の人生プランに濛々と悩むこともなくなったし、子供は?と聞かれる煩わしさからも解放された。そういう話題をなんとなくでかわせない私にとっては、これはとてもささやかだけど嬉しい出来事だった。

子供が愛らしいことはもちろんだけど、娘が運んできてくれた意外な贈り物。それは日々の新鮮な視点だ。

娘が生まれたばかりの頃、天候が不安定で夕方はよく土砂降りの雨が降った。
土砂降りの雨と雷を、窓を少し開けて音と雨の蒸気を感じながら2人でボーーと見た。普段なら「わーすごい雨!」と窓を閉めて終わりなのに、少し窓を開けて、窓のすぐ横に座る。ベランダに落ちた雨粒がわれて足にツンツンとあたる。ざーーーーという音。立ち込める蒸気。突然光る稲妻。
娘は(何ごとか!)と驚きと不思議さが混じった顔で何かを感じていた。私はそれを見て(あぁこの子にとっては全てが新しく、不思議がいっぱいなんだな)と思ったのを今でもかなり鮮明に覚えている。

退院の日は初めてみる太陽の眩しさにびっくりしていて、2週間くらいすると自分の手の存在に気付いてヒラヒラと手を動かして不思議そうに眺めていた。

普段全く気にも留めていなかった太陽、雨、手の存在が娘の目を通して新鮮に映る。

ハイハイからつかまり立ちになって視界が大きくかわり、日々伸びる身長で、取れなかったものが今日取れるようになり、最近では台を使うことを覚えて身長の2倍の高さまで手が届くようになった。
今まで開けられなかった棚を開け、初めてすっぱいや甘いという味覚を感じ、娘は毎日何かを発見して驚いている。私にとっては何でもない家の中が、娘にとっては未開拓の冒険の地なのだ。

娘と生活をして、散歩に出掛けて、私は娘の冒険にお供をすることで知り尽くしていたと思っていた世界にまた新鮮な発見をする。

そしてそれは何も子供の目を通してだけじゃない。
夫の目を通して、友達の目を通して、はたまた会ったことがない人の目を通しても、自分の視点は脇に置いて相手になりきって見てみると、同じことなのに全く違う世界が見えて面白い。

人は同じ場所に立ちながら、同じ視界の中で違うものを見ている。

まだ少し早いけど人生の折り返しに差し掛かった今、今度は色々な人の目を通して物事を見て、同じ世界でも新鮮に、沢山の発見をしていきたいと思う。
娘の冒険を通して一緒に沢山発見をして、娘にもまた、私の冒険を通して色々なことを感じて欲しい。

私の冒険のお供を彼女はしてくれるのだろうか。

してくれるのだろうか?

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