転倒する家族たち(異常者の正常な日記)
長男の学芸会的なイベントに行ってみたところ、妻が体育館の入り口の段差で派手に転倒した。前のめりに床に倒れ込んで、たぶん30秒くらい倒れたままだったろうか。私は這いつくばった妻の背中を後ろから見ていた。
この時私は、「うわ、鈍臭っ」「なんで段差気づかねえんだろう」「こういうのはある種才能だな・・・」というようなことを考えていた。自分なら、その段差に気付かないことはまず有り得ないだろうと思ったからだ。
長男は長男で舞台上、暗転から袖にはける際に、すっ転んで尻餅をついていた。痛そう。板張りの床に靴下って、確かによく滑るよね。しかしよく転ぶ家族だな?
長男の学年が出演する劇が終わり、左足を引きずりながら歩く妻と、自分の両親、娘2人と帰宅した。妻は近場の整形外科を検索しながら、「しかもお腹も調子悪いんだよね・・・」と言いながらトイレにずるずると近づいていく。それを見ていると、なんだか可笑しくなってきてゲラゲラ笑ってしまった。
何が面白いのかは自分でもよくわからなかった。他人の不幸が面白くて笑っているのではない。ただ、そもそもピーキーな調整のゲームに異常な縛りを自ら課して、もうやだ!とか誰がこんなルール考えたんだよ!とか文句を言いながら実況プレイしている状況のような、そんな感じがしたのだと思う。私は妻の姿に「ロマサガ3を閃きだけで最少戦闘回数クリア」に取り組むおやつの精神を見たのかもしれない。
妻は、笑顔の私に「やっぱりサイコパスだなって思ったわ〜」と言う。「ゲラゲラ笑ってすんません!お前が痛そうなのが嬉しいわけじゃないんすよ」ということを言ったんだけど、妻はそこじゃないと。「さっき転んで倒れたとき、大丈夫?とか肩貸そうか?みたいなこと全然言わなかったよな〜?助け起こそうともしなかったしな?」言われてみると確かにそう。そっちか〜!!気付かなかった〜!!
本当に心からまったくそういう気持ちが発生しなかった瞬間のことは、自分では認識すらできない。マジで言われるまで全然気付かなかったのである。これを指摘してもらえることは、私にとって結婚の最大のメリットと言っても良いかもしれない。
何かをしたという事実、つまり行為があればそこに意思を追認することはできる。謝ったり、反省したりすることもできるだろう。しかし、何かをしなかったという事実を考える場合、事情は少し異なってくる。また考え事が増えた。
ともあれ今日は、ふだん全然知らないジジイとかババアが道端で転んでいたら「おっ、大丈夫か?」という気持ちが自然に発生するのに、目の前でぶっ倒れた妻を見ていても一切そういう気持ちが湧いてこなかったという事実を確認することができた。よかったよかった。(よかったですか?)