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戦国武将に学ぶ!No.21~柴田勝家~




”軍師” こと、株式会社GUNSHIコーポレーションの社本です。


このnoteでは経営者の軍師としての目線で、
これからの時代を生き抜く戦略を発信しています。


私は日ごろより周りの方々から
”軍師” というニックネームで、
お呼びいただいています!(笑)

社名であることもその理由ですが、
私は自他共に認める歴史好き!
とくに戦国時代が好きです。


今回は、私が好きで見習っている、
学んでいる武将や軍師を紹介するシリーズ。

ぜひ最後まで楽しんでいただけたら幸いです。


■”鬼” と言われるけれど



今回も好きな武将の一人(笑)、
柴田勝家をピックアップしました!


前回の前田利家の記事でも登場した、
戦国史の中でもとても重要な武将の一人です。


『鬼の柴田』、『鬼の権六』など、
その呼び名に “鬼” と付されるほど、
血気盛んで勇猛な人物として伝えられており、
織田信長の筆頭家老の中でナンバー2にまで
上り詰めた人物でした。

不器用なイメージもありますが、
部下たちをぐいぐいと引っ張っていく、
強力なリーダーシップを発揮する
代表格のようなイメージで、
信長に実直に忠義を尽くす姿が
とてもかっこいい!

織田信長が描かれるドラマなどでは
必ずといっていいほど登場する
重要人物です。

映画【清須会議】では役所広司さんが
柴田勝家役を演じられその名演技が
話題になりました!
(歴史上では『清州会議』と表記されます)


織田信長が本能寺の変で亡くなったあと、
織田家の後継者を決めるために開かれたのが
「清州会議」です。

この会議では羽柴秀吉に軍配が上がりましたが、
この会議での秀吉との争いは、
後に賤ヶ岳の戦いしずがたけのたたかいに発展します。


結果は秀吉の勝利に終わり
勝家は自害しますが、
裏切りにあっても最後まで
戦い抜きました。


戦場では『鬼の柴田』と言われた勝家ですが、
この戦いに残されているエピソードから、
とても人情味のある人物だったのではないかと
私は思っています。


■かつての家臣に示した感謝


かつて勝家と共に歩んでいた
家臣の前田利家は、
賤ヶ岳の戦いの戦況を読み、
敗北を予見して戦いの途中で
城へ戻りました。
(これがきっかけで柴田軍は
敗退したとも言われています。)


前田利家のこの判断には諸説あります。
利家が羽柴秀吉とも親しかったために
上司的存在である勝家と秀吉の争いに
心を痛めていた、という説もあり、
部下として柴田軍についていましたが、
最終的に、羽柴軍につく形をとりました。


これは『裏切った』と伝えられても
おかしくない行為であり、私としては
戦国史上、なかなか重い裏切りだったのでは
ないかと思います。


それでもなぜか、
関ケ原の戦いの小早川秀秋のようには、
『裏切り者』と言われていません。


戦いに負けたとき柴田勝家は、
自身の城まで敗走します。
このとき、途中にある前田利家の
居城に立ち寄ったとされています。


その際、
「今まで一緒に戦ってくれてありがとう」
「私のことは気にせず、秀吉にくだりなさい」

と、これまでの労をねぎらったと言われています。


現代風にこれをたとえるなら、
最も信頼していた部下が、
大きな商談中に競合他社に引き抜かれ、
会社が倒産に追い込まれたにも関わらず、
『今までありがとう。お前はすごいよ、
そっちでもがんばれよ』と声を掛けに行く…


こんな感じです。


このように想像すると、
誰にでもできることではないと思います。


前田利家の行為が痛切に “裏切った”
と揶揄されない所以は、もしかしたら
柴田勝家と前田利家のこんなやりとりが
残っているからかもしれません。


『鬼の柴田』と言われた勝家ですが、
このエピソードを思い出すと、
本当に人情味溢れる、熱いリーダー
だったのではないかと思うのです。


やはり歴史は、一つの出来事を見るときに
点ではなく線、面で見ることが大切
で、
背景や心情などを加味し、『どうして
こういうことになったのか?』と
考えてみるのがおもしろいと思います。


本当に織田信長には欠かせない人物で、
本当にたくさんの作品に登場する、
ある意味で “名脇役” なのですが…


映画でも大河でも、
ぜひ柴田勝家を主人公として、
もっとクローズアップしてほしい!!





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