ガンプラ、人生の遊び
ガンプラは私の人生を形作ってくれたとっても大切な遊び。
今まで作ってきたプラモデルは両手両足じゃ数えきれないほど。
初めまして、ガンプラを愛しているのに語り合える友達がいなくて岐阜でガンプラ難民をしている悠です。
プラモデルを始めたのは、まだ幼稚園の年長の頃。
初めて作ったのはトッドライネック(聖騎士ダンバイン)
じいちゃんが買ってきてくれたプラモデルを組み立ててたなー(遠い目)
いやいや、幼稚園年長にこのプラモデルは苦行そのもの!
プラモデルなんてこんな細かい手作業難しすぎる、それに与えられたニッパーは工事現場で使用するようなとんでもなくでっかいニッパー。
小さい頃から虫嫌いだし(この話はまた後日、、、)
結局、そのプラモデルは幼稚園生半ば心折れて常闇に消えていったのでした。
(つまり、押入れの奥の方のどっかにいきましたとさ)
とまぁそんなこともありつつ再度ガンプラに火がついた時がありました。
それは2004年に始まったガンダムSEED DESTINYでした。
子供ながらに感動しましたよね。同年代ならわかってくれるはず!
女の子全員可愛いんだもん。(ガンプラ関係ねーし)
光る翼生えてるし、怒ると目の色変わるし
小学生の心を掴む方法としては100点満点でしたね、あれは本当に。
私は当時、鏡の前で怒ったりして目の色変わらなくてがっかりした記憶が笑
お風呂場のドラゴンボールと一緒ですね。笑
ガンプラに愛情を抱いたのはこの時、初めて作ったのはフリーダムガンダムでした。
価格、432円!
いや今時のガチャガチャ価格。笑
下手したらガチャガチャより安い。笑
もうAmazonでも取り扱いしてませんでした。笑
フリーダムなのに羽が開かないというまさかのフリーダム要素を静岡の工場に置いてきてしまったそうです。笑
まぁそんなこんなで月日は流れ彼女なし=年齢をやばいと思うこの頃
元々東京で就職していたのですがあまりのブラック企業に疲れ、岐阜に戻ってきた私は今も一人寂しくガンプラをせこせこ作っているのでした。
今日の自己紹介はここまで!
次からは作ったガンプラの紹介または作成工程を発信していきます。