が好きじゃないかもしれない。じーんと浸るより、突然現実に引き戻される感覚が好きだ。
たとえば映画が感動のラストを迎えた直後に、間髪を入れず陽気なナレーションをブチこむ金曜ロードショー。余韻もへったくれもない。
「来週は!?黄色いアイツらが帰ってくる!ミニオンズ!!」じゃないんだよ。でもあの節操の無さが不思議と心地よかったりする。
ちょっと逸れますけど、訳あって「酔拳2」を見直した。いやはや実に最高のラストだった。敵のボスをノックダウンするや否や、酔いすぎたジャッキー・チェンが泡みたいなゲロを吐いて目がキマったところで止め絵エンド。気っ風がいいね。
僕が落語を好きな理由の一つは、余韻もクソもないからかもしれない。
噺のオチのしょうもなさったら。特に駄洒落で終わるやつなんて酷くてたまらない。
例えば「三方一両損」のサゲ。いわゆる大岡政談というジャンルで、お奉行の大岡越前が見事な腕前で事件を解決に導く。ここまでは最高。
すると最後に急にご飯が出てくる。大岡が男に「食べすぎてはならんぞ」と釘を刺すと「多かぁ食わねえ。たった一膳。」との返答がきてオチ。"大岡越前"とかかってる訳だけど、いくらなんでも最悪すぎる。江戸のお笑いのまますぎ。
見たことはないけど、立川志の輔さんverではその後に「それのどこが面白いんだ?」と返すらしい。
「鼠穴」という人情噺が大好きなのだけど、これもオチがひどい。
自分の蔵が火事になって人生が行き詰まり、首を吊って自殺するという、壮絶な悪夢を見た人がいて。そいつに向かって「夢は土蔵の疲れだ」と言い放つオチ。なんでも"夢は五臓の疲れ"という知らない慣用句とかかってるらしい。は?
これを見るに、落語はオチを楽しむものじゃないんだな、と思う。
余談ですが、友達の芸人レッドブルつばさ、いや赤ノ宮翼、いや、谷口つばさに「落語を聴いてみたいからオススメの噺を教えてください」と聞かれたことがあった。僕は立川談志さんの「鼠穴」を聴いて落語にハマったので、素直にそれを紹介した。
信じられないぐらい不評だった。「なんだ、土蔵の疲れって!!!クソ!!!」とブチギレてた。
つばささんは土岡が薦めた志の輔さんの「千両みかん」にはハマっていたので、僕も今後紹介する時はそれにしたい(千両みかんのオチは見事なので、知らない人はぜひ聴いてください)
「鼠穴」を初めて聴いた時は、震えるぐらい感情をぐちゃぐちゃにされた。凄まじいドラマがある。なのにどうしてあんなしょっぱいオチで終わるのか。
ちょうどその話題について、爆笑問題の太田さんが番組で話していたのを思い出す。
「落語のオチっていうのは、大抵つまらない。じゃあもし、あのくだらないオチがなかったらどうなるか。多分ずっと落語の世界にいたくなってしまう。あの楽しい世界から、現実に戻れなくなってしまう。だから『この話は嘘ですよ』と伝えるのが落語のオチの役割の一つじゃないか」といった類のことを話していた。
確かに。古典の噺をしばらく聴いていると ぷかぷかと浮かんでるような、のん気な江戸の国の雰囲気にずっと浸っていたくなる。落語は業の肯定。優しいに決まっている。
だからこそ、落語のオチは気付けの水みたいなもんで。映画「マトリックス」で、脳に繋がってるコードを無理やり抜いて現実に呼び戻す、あの感じ。
そういえば。出演しているドラマ「大病院占拠」も佳境に入った。撮影完了ももうすぐだ。
ドラマというのは、出演者分が撮り終わったら”クランクアップ”といって、花束をもらってお祝いしてもらえるらしい。メイキングで見たことがある、あれだ。
共演しているソニンさんや宮本茉由さん、プロデューサーの方にクランクアップについて尋ねると「初ドラマのクランクアップは慣例で、絶対に泣かないといけないんですよ」と言っていた。嘘だろ…。みんなニヤニヤしてたので明らかに揶揄われてる。でもそんな冗談が言える楽しい現場がなくなるのは寂しい。もう全員と会うことはないだろうしなぁ。
クランクアップ直後の時間にお笑いライブのオファーがきた。マネージャーさんから「ドラマの直後だし やめときましょうか?」と聞かれた。でも受けた。
演劇の時もそうだった。千秋楽公演を飛び出してぱーてぃーちゃんとニッキューナナがいるエゲツない寄席に向かったのを思い出した。余韻なんて知ったこっちゃない。
でも本音は、寂しい時間を減らしたいだけなのかもしれない。心を、余韻に、占拠されたくないだけかもしれない。