たった一つの贅沢は、すべてを贅沢に感じさせてくれる
職業柄、秋になると、お客様訪問すると、「もってってよ、ちょうど手にはいったから」みたいな感じで、頂き物、しかも、秋らしく、秋らしい食材をいただくことが多い。
私がそこそこ自炊していることは、お客様との雑談でしているので、何かこれで作って、と、純粋な気持でくださっているのだと思う。
ときどき、え、こんなものいただいていいの? と思うことがある。
それは、決して、高価なギフトではない。地元の農家の方のとっておきのお野菜とか。そうそう、最近は都内でも普通にみかけるようになったが、白くて丸い茄子。あれは、もう6-7年前から毎年秋になると大量にいただいていて、普通の茄子とは違う食感や味わいを、わたしは堪能させていただいていましたが、そんなのは、すごい贅沢だと思うわけです。
本日も、「ちっとしかないけど、もってって、悪いもんじゃないから」と、無造作にコンビニの袋にいれて、何かをいただいてきた。
帰宅してあけてみたらびっくり。こんなにも…が、下にあげた写真左下の食材。
くだらない調味料はいらない。シンプルに、遠赤外線でゆっくり焼いて。
ちょっとは気の利いた食器があればいいが、これにあうものはなく。せめて、と、お相手を務めさせるお酒に関して、少しは高級感のあるとっくり(思い出はたくさんある大事なとっくりではある)と、ちょっと工芸品の領域にはいる猪口をだしてきて、贅沢な一品を多少演出。
こうやって、一品をより楽しむために、他も配慮して、忙しくて早く寝たいけれど、それでもこれをやりたい。そして、それを実行した瞬間って、とてつもない贅沢ではないかなー。
実は、群馬県は椎茸は結構いいものができると私は思っていますが、それでも、これだけの椎茸は滅多にめぐりあえない。そう思ったからこそ、秋深い夜の贅沢な一時でした。
冒頭の画像は、みんなのフォトギャラリーで「贅沢」で検索して出てきた中でお気にいりの1つを使わせていただきました。提供者に感謝いたします。
オリジナルからトリミングされて、なにが贅沢なのかわからなくなっていますが、こんな表情で自然とふれあえるのは、至高の贅沢だと思います。(気になった方は、ぜひ、オリジナルをみてくださいませ)。
この記事は、参加しているメンバーシップ「じぶん綴り方」の今月のお題に関連して書きました。楽しいサークルです。よろしければ、ご一緒しませんか? (じぶん綴り方のご案内ページ。2つのサークルのご案内が出てきます。そのうちの1つです)