4年前に亡くなった父とけんちん汁の思い出
私の父は不器用な人でした。
どれくらいかというと…
妻が初めて出産を終えて「美味しいパンが食べたい」と言われたら
皆さんならどんなパンを買ってきますか?
ウィンナーが挟まったパン、香ばしくていいですね!
チョココロネ、甘いもので疲れも緩和されそう!
チーズパン、チーズの香りがたまりませんね!
と、パン屋さんにあるであろう数あるパンの中から父が選んできたのは…
食パンでした
食パンでした(2回目)
今でこそ市民権を得ている食パンですが、片田舎のデパートにあるパン屋のパンです。
マジでただの食パン
指示しなかった母も悪いにしても、まさか食パンを買ってくるとは予想してなかったことでしょう。
そのくらい察しが悪い人でした。
そんな父と母は3人の女の子をもうけてその末っ子が私です。
女、女ときたら次こそ男!という期待の中私が産まれたもんでやはり男親としてはガッカリという気持ちも少なからずあったと思います。
そんなわけで女の子との接し方なんぞわからない父は子育てはほぼ母に任せっきりでした。
父と二人で出掛けた記憶なんて言うのはほんと片手で数えるくらいで、たまーーに家族でディズニーランドや旅行にも行きましたが私が小学校に上がる頃には、母+三姉妹での旅行のみとなっておりました。(父は自主的に不参加)
反抗期になるとあまりの関心の無さにお金を払うだけで何もしてくれない!と反抗心を抱くようになります。
今思うとそのお金を稼ぐという事がどれだけ大変かが判るんですけどね。
…と言う訳で別に仲は悪くはありませんが良くもないまま高校生になりました。
父は公務員で母は福祉センターのような所でソーシャルワーカー兼介護士のような仕事をしていたのですが、私の高校入学と同時に元々持っていた看護師の資格を使って病院で働くことになりました。
秋の地元のお祭りの日。
祭の日にはけんちん汁を作る習わしがあって、けんちん汁大好きな私は毎年楽しみにしていたのですが、その年は母は仕事が入っていて、今年は食べられないなぁ、と残念に思っていました。
昼ご飯を食べようと自分の部屋からダイニングへ行くと父がけんちん汁を食べていて
「アレッ?どうしたのそれ?」
と聞いたら
ぶっきらぼうに「作った」と言うではないですか
普段あまり料理がしない父が作ったけんちん汁は母のものとは違っていましたが美味しかったです
「お父さんが作るなんて珍しい」と言うと
「(私)好きだろ」
と言われ、
こっちが想像もしていなかった答えに不覚にも泣きそうになってしまいました。
それをきっかけに実はめちゃくちゃ不器用でツンデレな人なんだな…という認識ができました。
大学生になり一人暮らしをして、たまに実家に帰ると趣味の畑からけんちんの材料を取ってきてたり(母にけんちん作ってやれとかは言わない笑)
買っておいた私の大好物のタラコが冷蔵庫にあったりとたまに見せる優しさでニヤニヤしてました。
そして私は大学卒業後就職して、数年後に父の癌が発覚しました。手術は成功したのですが、入退院を繰り返し4年前の今日亡くなりました。
かなりしんどい経過だったので、勿論悲しくはありましたが、ようやく楽になれたんだね。という気持ちでした。
その後私は結婚し、子供も出来て、お父さんがいたらかわいがってくれたかなぁとか色々考えてしまう今日この頃
お父さん、娘は元気にやっていますよ!
父とのけんちん汁の思い出でした。
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