人生とは、計算違いの連続なのである。
順風満帆すぎる最高な人生・・・?
現在、大手メーカーで部長として働き、都内に一軒家を持ち、バリバリ働き、休みはゆっくり家族で過ごし、順風満帆な生活を送るサラリーマン。
のはずだった。
大学に入学し、4年間遊び尽くしてから、就職活動を経て大手メーカーで 就職。何不自由なく最高な生活を送る。
はずだった。
人生とは計算違いの連続なのである。
現在、仲間とともに、株式会社心電という小さい会社を営み、自分達でサービスを立ち上げたり、日々、ビリビリしながら、楽しく生きている。
さらに、計算違いの人生を、どのようにして楽しんで生きていくかということを、共に語り、切磋琢磨しあえるようなコミュニティスクール、「郡司塾」というものも運営している。(※サイトはもうすぐ完成するよ!)
いたって普通で、なんてことない、僕が、どうしてこんな事になったのか。
少し話をさせていただきたいと思う。
ほんの少しだけ好奇心旺盛な大学生。
有り難いことに、私立の高校に通わせていただき、大学も推薦で入れるというとてもラッキーな高校生だった。しかし、大の勉強嫌いで成績が悪く、希望の大学に入る基準を満たすことが出来ず、なんとか入学させてもらえたのが、日本大学生物資源科学部という大学だった。さらに、ラッキーなことに、大学2年生の時、ケンブリッジ大学の交換留学に行くことができ、海外での生活を経験したことで、海外の文化、音楽、見たこともない景色などに圧倒されてしまい、ハマってしまったのだ。「旅やべえww」と。
その後、毎年夏休みには、旅に出て、様々な国に足を運んだ。最終的には、16カ国も巡っていた。
音楽や文化に触れまくったことで、DJなんかも始めてしまい、ついには自分でイベントも開催したりと、音楽と旅づくしの大学生活を過ごした。
人生とは、計算違いの連続なのである。
就職活動の時期が訪れ、大手メーカーに就職する予定だった。が、全滅。
ここでもラッキーなことに、「君、おもしろいよ!」と気に入っていただいたIT系の会社に新卒として雇ってもらうことが出来た。勉強もロクにせず、大学生活も適当に過ごしてきた僕には会社員生活は馴染めず、4年間働かせてもらったのだが、会社を辞めてしまった。
「ほんとにこのまま働いていいのだろうか」「気づいたら電車とオフィスの往復で人生このまま終わってしまうんじゃないだろうか。」
最後の1年間はこの気持に悩まされ、気づいたときには会社を辞めていた。
将来が見えてしまったのだ。おそらくこんな感じの人生になるだろう。
その結果、とりあえず会社は辞めてしまったが「ま、なんとかなるだろう。」というよくわからない自信を持ち、5社ほど転職活動をしたが、結果は全滅。「ありえない。そんなわけない。」と、さらに転職活動を続け、10社ほど受け、「もうダメだ」と思っていた最後の1社で、新卒で雇っていただいた会社のように、「君、おもしろいよ!」といっていただき、無事に内定をいただく事ができた。しかし、「よかった…僕のことを雇ってもらえる会社があるんだ」と安心感を得て、辞退してしまったのだ。(今もそうだが、当時はほんとに狂っていたと思う。)
生きるか、死ぬか。
仕事も辞め、内定も辞退し、何もかもなくなってしまった僕は、「とにかく日銭を稼がなければ、生きていくことすら出来ない」と、バイトを始めた。
メルカリでのせどりに始まり、引越現場、工事現場、airbnbの清掃、清掃現場、など出来ることはすべて試した。とにかく稼ぐために必死だった。
(就職すればよかったのに…笑)
移動はすべて自転車。お昼ごはんと夜ご飯は、いつでもマック。
100円マックでお腹を満たし、働き続けていた。
現場仕事の傍らで、続けていたDJイベントとキャンプイベントがキッカケで、これまたラッキーなことに、メディアに取り上げていただいた。
人生とは、計算違いの連続なのである。(パート2)
ある日、こんな一通のメッセージが届いた。
ここから、さらなる計算違いの人生が始まったのだ。
まさかの、大手通信系の会社でのイベントアドバイザーの仕事が決まり、
バイトを少し減らして、暮らしていけるようになったのである。
(ほんとに奇跡としかいいようがない。)
それから仕事の相談が少しづつ、増えていった。
右も左もわからない僕は、ひたすら様々な本を片っ端から読みまくり、常に、片手に本を持ち、現場仕事と勉強とアドバイザーを繰り返し続けた。出来ることをともかく動き続けてみたのだ。
人生とは、計算違いの連続なのである。(パート3)
現在、大手メーカーで部長として働き、都内に一軒家を持ち、バリバリ働き、休みはゆっくり家族で過ごし、順風満帆な生活を送るサラリーマン。
のはずだった。
大学に入学し、4年間遊び尽くしてから、就職活動を経て大手メーカーで 就職。何不自由なく生活を送る。
はずだった。
まさか、僕が心電という会社を仲間と立ち上げたり、郡司塾というコミュニティスクールをやるなんて、思ってもいなかった。
人生は、計算なんて出来やしない。
むしろ、計算違いの人生を「どれだけ楽しめるのか」「どれだけ受け入れることが出来るのか」の方が重要なのである。
「知 覚 動 考」と書いて「ともかくうごこう」と読む。
そんな、計算違いの人生を加速させ、好転させてくれる不思議な言葉がある。「知 覚 動 考」だ。これを「とも、かく、うご、こう」と読む。
「知るよりも、覚えるよりも、考えるよりも、動くこと。」
動かないと、人生は始まらない。そして、切り拓いていくことができない。
もし、喉が乾いていて、目の前にペットボトルがあっても、自分から動いて取りに行き、蓋を開け、口に持っていかないことには水すら飲めない。
餓死してしまう。
「うごくしかない。」「ともかくうごくのだ。」
ともかくうごいて行くことで、計算違いの人生をとことん楽しんで行くことが出来る。なにより、今の僕があるのも「ともかくうごきつづけた」からである。
実は、あのフェイスブックメッセージを送ってくれた掛を中心とした仲間と共に、現在、郡司塾を運営している。
僕の人生にさらなる計算違いを起こしてくれたのだ。
人生とは、計算違いの連続なのである。
当時の僕のように、人生の路頭に迷い、どうしたらいいかわからなくなっている人のために、「知覚動考」という言葉を贈りたい。
一緒にともかくうごいて、計算違いの人生楽しんでいこう。
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