人間ドミノ
ある男が殺人犯として捕まった。男は朝食のトーストをかじりながら新聞でその記事を見た。実によくあるニュースだ。だが今回は殺した相手がまずかった。殺されたのは人気アイドルグループのセンターを務めていたとかの女で、世間から大変な人気を得ていたのだ。
程なくして殺人犯の経歴が明らかとなった。彼は殺された女とは幼馴染であったという。おまけに彼は有名な大学を出ていて、誰もが知る大企業で働いていた。これほど面白いことはない、と夕方のニュースをみながら男は思った。男はちょうど会社での失敗から鬱憤が溜まっていたこともあり、Twitterのアカウントで殺人犯にまつわる様々な情報を集めることに勤しんだ。彼は死刑に間違いないだろう、と男は思った。実際それは皆が思っているところだった。特にそのアイドルグループのファン達は熱心に殺人犯の情報を調べ、それをTwitterに共有した。男は元々そのアイドルグループのことなど知らなかったが、殺された女はとても可愛らしかったので、段々とまるで自分の娘を殺されたような気分になってきた。こんな男を生かしておいていいはずがない、と彼は思った。そしてそれは皆が思っていることであった。
ひと月が経過したころに、情勢は大きく変化した。殺された女は学生時代に、殺人犯のことをイジメていたというのである。さらにもう一つ大きなことに、なんと殺人犯が獄中で舌を噛み切って自殺したという。こうなるといよいよ誰が悪いのかはわからなくなってしまった。しかも悪いかもしれない二人は二人とも死んでしまったのだ。あるものは女の両親を非難した。それは女の両親が取材を受けた際に、女が大変優しく立派であったと言ったためであった。しかしこれは中々大衆の賛同を得られなかった。男もそれはどうだろうかと思った。性悪女は外面だけは良いということが男には深く理解できるように思われた。何故なら男の女房がそうだったからである。男は女のイジメを知った際に深く失望をした。そのイジメの内容は壮絶なものであったらしい。誰もが殺人犯に同情した。だからといって彼は女の両親が悪いようには思えなかった。女の化けの皮というものは剝がれるものはわからないものなのだ、と彼は思った。だとすれば悪いのは女だということになろうが、彼女はその罰をすでに受けていた。こうしてこの事件は収束していくように思われた。
更に時間が経過した。誰ももうその事件を覚えてはいなかった。男もすっかり全てを忘れ、会社の上司の愚痴をTwitterに書き込む日々を送っていた。しかし起こったことというものは消えることはない。今度は女の両親が心中したのである。このセンセーショナルな事件は新聞の見出しをでかでかとかざった。そうしてまた誰が悪いのだ、ということになった。今度に浮上してきたのは高橋明という名前の男だった。彼はとある週刊誌の編集長をやっていた。彼は女のイジメが発覚した際に上がった両親を非難する声を目ざとく見つけ、両親のもとに繰り返し取材を行っていたのだ。彼は週刊誌内で両親を強く非難し、こいつらは娘の悪行を知っていて放置していたのだと結論付けた。無論、その記事は当時相手にされず、風化しかけていた。しかし女の両親の自殺によって、その記事は特別の意味を与えられたのだ。男と彼は友人だった。中学校からの付き合いで、今でもたまに愚痴を言い合える、そんな仲だった。男はTwitterで高橋明の名前を見つけると、心底彼のことを見下した。思えば、元々あいつは陰湿で、つまらない奴だった、そんな風に彼は思った。両親が自殺したということは、二人も死んだということだ。これは男にとってとても我慢ならないことだった。男はすぐさまに高橋明について知っていることの全てを書き、Twitterに乗せた。その情報は瞬く間に拡散され、男は少々の恐怖と大きな快感を味わった。もちろん、皆が皆高橋明への制裁を望んでいたので、男の持つ情報は感謝と共に受け入れられた。
1年が過ぎた。男は昇進を果たし、人生が順風満帆であった。ある日彼が帰宅途中の道を一人歩いていると、通りの向こうからフラフラと覚束ない足取りで近づいてくるものがあった。それは高橋明だった。顔には無精ひげを無造作に生やし、目には大量のクマがあり、まるで三日三晩何も食べていないかのようにやせ細っていたが、確かにそれが高橋であることが男には分かった。手にはナイフを持っていた。街灯が高橋を照らし、その異常な形相を浮き彫りにした。男は一瞬立ち止まった。まるで心臓が瞬間冷凍されたかのようにその場から動けなくなった。高橋はナイフを構えながらじりじりと歩み寄ってきた。高橋はすると突然笑い出した。その眼には涙が浮かんでいた。男はその笑い声でハッとなり、踵を返して逃げ出そうとした。が、間に合わなかった。次の瞬間、男の背中には深くナイフが突き刺さっていた。男はあまりの痛みから目の前がぼんやりとした。ナイフは尚深くまで突き刺された。そのとき既に男は意識を失っており、間もなくして死んだ。
男はドミノ牌だった。人間による殺人ドミノ倒しの一部に、彼はなったのだった。