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着うたを「聞かされる」感覚

岩田です。はてなブログの過去記事転載です。

仕事で電話をかける相手がお客様の場合、それでいて個人携帯電話にかける場合は「もし留守番電話になったら」を想定した心構えで電話をかけますよね

こちらからの着信アリが重要な場合は留守番電話にメッセージを残さないで電話を切る、留守番電話にメッセージを入れる行為そのものが重要な場合は要点をおさえた短い内容でメッセージを入れる、中には面白いダラダラと長い留守電を入れてくる人もいるけど。

そんなお客様への電話のときに「プルルル…」ではなく着うたの場合って少し焦りませんか?

こちらのペースが乱れるし留守電に入れる内容を忘れるというか。

とくに納品時などグーグルマップでお客様の場所を地図で見ながら電話をかけた時に着うたを聞かされると色々と忘れてしまうものがあったり...

着うたとは?

超簡単に着うたを説明すると自分の携帯電話に電話をかけてきた相手に対し、通常であればプルルル…の呼び出し音を有名アーティストの曲等にできるサービス、

スマホではなくガラケー全盛期の時代には結構流行りました。

ではスマホ全盛期となった現在はどうか?となると着うたは存在している状態になりサービスの利用者はそれなりにいるように思えます。

しかしガラケー全盛期に比べれば圧倒的に少ないといったところ。

着うた全盛期

当時着うたを利用する感覚は「こんなイケテル曲が好きな俺&アタシ」といった自己紹介適切な要素、

「この曲マジいいから聞いてくれ、つか聞け!」といった車の窓全開大音量ドラゴンアッシュのような押し付け的要素があったのは当時の着うた全盛期にサービスを利用していた方にとって完全否定はできない事実かと思われます。

また当時のガラケー文化は、音に対するこだわりが非常に強かった時代、携帯を新しくして一番初めにやることが着信音変更だったはず。

着信音については着メロなんてものがありまして自分流のガラケーに電話がかかってきた時の曲を例えばドラゴンアッシュにする、

そして友達と遊んでいる時にガラケーに電話がかかってドラゴンアッシュが鳴り響く。

本当は母ちゃんからの着信なのに「別れたあいつから電話がかかってきてウゼーから電話出ない俺」を演じ、かつドラゴンアッシュな俺で悦にひたるといった要素とかも。

お母さん、あの時夕飯のこととかの電話無視しまくってごめんなさい。

着うたを”聞かされる”といった感覚 

友達に電話をして着うたが流れる場合は全く問題ありません、

「ああ、コイツは今この曲押しなんだな」

で終わり、相手が電話に出たとして着うたの曲について話題になる事はありませんし、着うたを”聞かされた”といった感覚もありません。

しかしお客様へ電話した時に着うたが流れると”聞かされた”感があります。

それが自分の好きなアーティストの曲であれば「おいおい...あんたイイ趣味してんな!」で終わるのでしょう、しかしガラケー全盛期もそうでしたが着うたとは最新のJ-POPに設定が主流だと思うのです。

そして自分が全く知らないアーティストと曲、これが電話をかけて着うたとして流れるとけっこう苦痛だったりします...というよりほぼ知らない曲だったりする。

知らないし興味のない曲なのだから聞きたくない、しかしお客様への電話なのだから聞くしかない、そして聞き終わった後に留守番電話...

これでは仕事で電話をかける側として調子が狂ってしまう...ありませんか?私は大いにあると思っております。

着うたが国民的ソングならば苦痛にならないのか?

結局は自分の知らない曲を聞かされている感があるから苦痛と感じてしまうはず、ならば誰もが知っているような有名な曲、例えば紅白歌合戦の大トリの曲ならば?となれば少しはマシになるような気がします。

とはいっても若い世代はまた考え方が異なるでしょう。

そうなると世代間の価値観を無くして民謡とか国家とか...ってそれじゃ着うたの意味がありません。

やはり着うたの根底にあるものは自分の好きなアーティストの曲を電話をかけてきた相手に聞かせたいといった想いがあるはず、それはある意味エゴでありつつもそれぐらいの余裕がある社会のほうが私は好きです。

プライベートな電話は着うたアリ、仕事関係で着うたは無し

着うたを設定するにあたって考えるのはプライベートな電話ならば着うたにして電話をかけてきた相手に自分の好きな曲を聞かせるのはアリだと考えています。

しかし仕事関係でかかってきた電話で着うたは正直言って無しが良いと思っています。

例えば銀行から当座の残高不足の電話がかかってきた時に着うたの場合、融資を受ける銀行からの連絡で電話がかかってきた時に着うたの場合...

着うたに自己紹介要素が含まれるとした場合、そこで相手にどう思われるか?今後の関係においてどうなるか?を考えれば着うたは無しの方向にしかなりません。

これは電話の保留音にも通じるところがあり、知らないアーティストの保留音だったり社歌みたいな保留音の場合もやはり”聞かされている感”が存在すると考えています。

そこでクラシックの保留音の場合はあまり聞かされている感は無い...

このように考えると仕事関係での着うたはやはり無しとの結論になります。

※保留音が社歌の場合は逆の意味で興味が湧く場合もあり

ガラケー全盛期の時代は個をアピールする場が少なかった

令和時代における社会は個人が自分をアピール場が多く存在します。

それはSNSは当然としてブログ、youtube等で「俺&アタシを知ってくれ」の場が多く存在する状態。

ではガラケー全盛期はどうだったか?となると現在に比べれば圧倒的に個をアピールする場は少ない、
当時インターネットは存在していましたが社会的インフラにはなっていない状態かつ一般的に普及しまくっている状態とはいえず個をアピールする場としては弱い存在でした。

そんなガラケー全盛期の時代において、自分に電話をかけてきた相手に自分のオススメの曲を聞かせる...これはアーティストの力とサービスを借りてるとはいっても当時の感覚で「俺&アタシってこんな人!」といった個のアピールだったと今になって思うところがあります。

しかし令和時代ともなれば個人が個をアピールする場はインターネット上に多く存在する、ならば着うたのような自分を知ってくれ&自己紹介的な受け身のサービスはあまり必要とされない時代に突入してきたのでは?と考察してみました。

着うたを聞かされるといった感覚は全く興味のない情報を見せられる感覚に似ているのではないかと。

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