なんの為に努力するのか?
為替市場という参入者の99%が撤退する投資を初めて1年が経つ。いろいろな事を体験してやっとFXで頑張っていこうと割り切るようになった今日この頃、以前の自分より確実に努力していると実感できているし、やっていることは間違ってはいないとも思う。
航平、たっくん、智也と勉強する習慣ができて、今まで何をやっても長続きしなかった自分だったが、この集まりのおかげで今のところは継続する事ができている。
しかし、最近「ああ勉強しないでだらだらしてえなあ」と思い、航平が体調が悪かったのを理由に勉強会を1日休もうと考えてしまった。
その時、この取組をやめようとは全く思わなかったが、自分のやる気が落ちているのを僅かながら感じた。もともと、周辺の環境に影響されやすいので、「そのうちまた戻るだろう」とあまり深く考える事はなかった。
そんな中で、いつものように本を読んでいるとある一つの言葉に出会った。
「自分、こんな言葉聞いたことないか?
『成功する秘訣は成功するまであきらめないことだ』」
「でもな、あきらめてもええんやで。
自分に向いてない分野思たら、あきらめてもええんや」
「当たり前や。だって、自分がその作業に没頭しても、
それを誰も喜ばんかったら、サービスになってへんから、自分、成功せえへんやん」
「一つだけ、絶対にあきらめたらあかんことがある」
「『自分』や。自分には何か才能がある、
自分にしかできない仕事がある。
そのことに関してはあきらめたらあかん。
見つかるまでそれを探し続けなあかん。
自分自身に対してはあきらめたらあかん」
「でもな、生き方は人それぞれや。
別に、仕事は生活するための手段であって、
趣味の時間がたくさん欲しい人もおる。そら自由やで」
「あたりまえやん。生き方なんて自分で選ぶもんや。
自分が幸せだと感じることができれば、それでいいんや。
誰も努力なんて強制してへんで。
そもそも、やらなあかんことなんて存在せんのや」
「せや。自分が思てるより全然、自分は自由やで。
自由に生きてええんやで」
「でも、自分成功したいんやろ。
成功したいからこうやって最後の課題取り組んでんねやろ」
最後の黒太字の部分。まさに今の自分の事を言われているような感じがしてしばらくこの言葉が頭から離れなかった。
「ああ、誰も今俺が頑張る事に関して強制してないし、やらなきゃいけない事なんて存在しないんだ。じゃあなんでこうやって努力してるんだろう。どうして辛い事を自ら進んでやっているのだろう。」と考えた。
そこで改めて、「いくら辛くても成功する為に、中途半端で終わらせない為に、一度きりの人生後悔のないように生きたい。」そう思って取り組んでいた事を思い出す事ができた。
「辛いと分かっていてもやり遂げたい自分がいるのなら、やり遂げよう。」
「楽な道に成長はない。楽して成長できるのならみんな成功している。」
人生は自由。楽に生きたいなら楽をすればいい。自ら辛い道を選んででも何かを成し遂げたいのならば、今頑張るべきだ。
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