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忙殺な空色は

その色は薄かった、とても薄くて何度か見上げてしまった。
そう云えばこの頃見てなかったな、空の存在すら忘れていた。
四月は君の嘘になろうとしている、慌ただしい日だ。



自由だと勘違いした時間にはいつでも有効期限があって、拘束と校則が嫌いだったはずがどうした事か『規律』に立ち向かおうとしている。



やっと半人前になったのか、いや、なったつもりでいるだけだ。
いつだって年上には勝てない。
先を歩んで経験している人の言う事は正しい。


分からないものは理解しない、興味を示さない、知ろうとしない、その無知さが今では恥ずかしいと思う。
『穴があれば入りたい』
大袈裟ではなく本当に思う。

しかし穴に入る時間は無い、時間は有限だからだ。
そんな事をするなら、もっとやるべく事がある。



長いような短いような不思議な空間の中、
誕生日には何を渡そうか、と考える。
1番にすべくは家事炊事掃除をする事なのかも知れないのに、ドッサリとした身体は重く心は軽い。



母が言うところの「いかにお金を使わないこと」が大事なのか。
本当は「いかにお金を生かすか」なのではないだろうか。



労働という対価がお金なら、労働は向いていない。
身体を壊し、精神を病み、それでも労働へ勤しむことが私には途方もなく難しい。
何故そんなに難しいのか、と自責する。
労働しないと対価はないのに。
労働が美徳とされていて、踊らされている気がする。Twitterで呟いたことでもある。



好きなことに仕事として関わる
これが本当の美徳ではないだろうか、と思うのももう八月になってから気付く昨今。

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