母親からの刷り込みから出来あがったトラウマモンスターの生態結末

母親の理想を無理に押しつけられ、出来上がったソレはモンスター。


ああしろ、こうしろ、次から次へ課題を与えられ、好きな事が出来ないまま中学1年生まで生きてきたように思います。

ピアノではなくヴァイオリンが習いたかったんですが、結局小学5年生までピアノを続けました。楽しいからではなく、分からない事を聞いても怒られる。
それが嫌で耳コピで課題曲をこなしていました。

環境が悪く、小学3年までの記憶はほとんどないのですが、やりたい事をしたかったです。

『何か』を常に成し遂げないと日々は生きていけない。
いつの間にか、そんな風にしか思えないまま50歳近くまで生きてしまいました。

「期待させるような事を言うからダメなんだ」と言われた事があります。確かにそうなのかも知れません。

しかし期待に応える事で愛してもらえる、とエラい勘違いをした事に気付いた頃には親ではなく、1人の女でした。
親父が帰ってこないとは故、離婚もまだ確定していない内に男性を家に上げる。
それが堪らなく嫌でした。

中学2年頃からいきなり、まざまざ女を見せ付ける。
そんな女にはなりたく無いと思ったものです。突如、過度な期待という重圧が消えないまま、いわゆる不良になった私は、それでもどこかで誰かに愛されたい気持ちでいっぱいでした。

しかし、家で待っているのは暗い部屋と作り置きで温める1人、黙食するご飯。
当たり前のように来る母親の男。

居場所はどこにもありません。

それでも50歳手前まで、思い出されたかのように沸く母親の期待が嫌で
とうとう私から親子の縁を切りました。

まだなお、重圧な期待から解き放たれていないので、幼少期から長く続いた『応えなければいけない』自分が時々顔の覗かせます。

こんなトラウマモンスターを愛してくれているパートナーと一緒な内は、せめてただのモンスターでありたい。
そう思っている昨今。

幼少期に過度な期待を押し付け、状況が変わると、それすら放棄した母親を許せる気はまだ起きません。

許すとか許さないとか、そんな事は正直どうでもよいのかも。
ただ、いきなり放置された身にもなって欲しい、と思ったりする時があります。

生きている今。
自分をもう親や周りの大人たちから解放してあげたい、と思います。直ぐには無理かも知れませんが、生き易い自分へと、歩んで何が悪い?
そう思うだけ。


期待に応えよう、そう思うことは悪くないようにも思いますが、
そればかりになってしまうと苦しいだけです。


過度な期待をするのは良くない。
しっかり相手の状態を見極めて欲しいです。


トラウマモンスターが出来上がる前に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?