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世界で1番綺麗な景色

今まで見た景色の中で一番綺麗だった。
そう断言出来るほど、目の前の光景は最高で華やいでいた。


一年に二回もライブに行けるなんて思ってもみなかった。
なんでこんなに、急に当たるようになったんだろう。
誰のいたずら?
テンションの上がった私は当選メールを何度も確認した。
サイトにも何度も足を運び、ヨルシカのアプリを何度も開いた。
ライブ近くになって表示された電子チケット。
何枚もスクショした。嘘じゃない。私はまた大好きなヨルシカのライブに行ける。当面の生きる糧になった。



寒いなぁなんて言いながら電車を乗り継ぎ、前に一度来たぴあアリーナにナビ無しで辿り着く。
会場には既に人だかりが出来ていた。
月と猫のダンスで販売されたトートバックを持っている人。
前世初公演のときに販売されていた、大きな鹿がデザインされたカバンを肩に下げている人。
グッズTシャツに、パーカー、リストバンド。
視界に映る景色の中に、ヨルシカのグッズが見えた。

みんな同じ人たちを推してるんだな

私は前回同様そんな気持ちになった。


グッズを事前通販で手にしていた私はガチャの列に並んだ。
昼間なのに日陰は寒くて、風が衝立代わりの分厚いカーテンを揺らした。
そうして長い列に並び、ゲットしたピンバッジがこちら

有難いことに交換してもらえたので、欲しかった子たちを無事にお迎え出来た。
可愛すぎて、嬉しくて、眺めるだけでにやけた。
その時の私は大変キモかったことだろう。

ピンバッジガチャを回した足で後書き会員の列に並んだ。
配布開始まで二十分ほどあったせいか、列はそこまで長くなかった。
ただ、やはり日陰は寒かった。
寒い思いをしながら受け取ったピックはキラキラしていて、スキップでもしようかと思うほどに気分が上がった。


上がった気分を携えながら、CD物販の前を行き過ぎる。
配布列から完全に脱したとき、私は幻燈の音楽画集を持っていた。
買っちまった、、!
ずっと欲しかった画集を手にルンルンの私。
白いビニール袋から透ける表紙が最高だった。


ライブの時間までその辺を散策し、暗くなり始めた頃に私は会場内に入った。
座席は思っていた通りだいぶ後ろだったけれど、アリーナ席というだけでにやけ顔が止まらない。
前を見ても、後ろを見ても、左右を見ても、みんな同じ人を好いている。
そう思うだけで胸がいっぱいだった。

開演直前の注意事項の声はsuisさんだった。
良い声だなぁ、なんて思っていればブザーが鳴る。
続けて話し始めたのはn-bunaさんだった。
大きなスクリーンには新緑の緑道。
動きゆく映像に合わせて心地いい声が語る。


「前世」


微かに震えたような、まるで主人公がはっと何か思い出したかのような、そんな語り。
真っ暗な中に前世の文字だけが映し出され、ティアリングのようにブブッと文字がブレる。


曲が始まった。


犬の遠吠えが聞こえるとみんな徐に立ち上がった。
真っ直ぐ延びる青や白のレーザー。
ハイテンポな曲調に手拍子を打つ人。
手を上げて前後に揺らす人。
リズムに乗って身体を動かす人。
それぞれ違って楽しかった。
サビでライトが真っ赤に変わる演出が好きすぎて、一人静かに指先同士を叩いた。

イントロが流れた瞬間泣いたのは言うまでもない。



続けて流れた『言って』
引き続き泣きながら手拍子する私。
リズムに乗る余裕が出て来たのか、サビ終わりにドラムによって音が切れるのに合わせて身体を揺らした。
最高過ぎてそれ以上の記憶はない。


朗読㊁の映像は鳥目線のそれだった。
山の上を行き、谷の間を抜け、時々舞い上がって、滑空して。
次の曲にあたりをつけながら朗読を聞いているとなんだか寂しくなった。

暗転。

『靴の花火』の演奏が始まる。
感無量過ぎて殆ど映像を思い出すことが出来ない。
ただsuisさんの歌い方が切なくて。
それだけが印象的。


その後続けて二曲演奏してくれた。
『ヒッチコック』はギターの演奏が最高だったし、『ただ君に晴れ』は手拍子のところでみんな手を高く上げて叩いていたのが印象的だった。
手拍子のときにライトが白く変わり会場を照らしていた。
座席が後ろだったおかげでみんなの手拍子を打つ手が見えて、何故だかそれだけで涙が出た。笑顔にもなった。




朗読㊂
n-bunaさんの「リード」の言い方が引っ掛かった。
誰かをリードする、と言うときのそれとはイントネーションが違う。
何かあるな。きっと会場に居る人全員がそう思ったことだろう。

トランペットのどこまでも響くような音とともに始まった『ルバート』。
事前にあった演奏者の名前欄?(うろ覚え。何かで見たのは確か)にトランペッターが居たので予想はしていたが、「ここで来るか!!」の気持ち。
トランペットとサックスがカッコよすぎて視線が釘付けになった。
途中のソロが最高にカッコよくて「わぁぁ」と声が出たし、ソロ終わりに拍手が沸き上がったのはライブ感があってとてもよかった。
人々の頭越しに見えたsuisさんの手にはタンバリン。遠目越しでもその可愛さに悶えた。


『雨とカプチーノ』も最高だった。
しかし前曲の『ルバート』が強すぎて正直記憶が薄い。


朗読㊃
キラキラ光る水面に合わせて魚の話が朗読される。
「蟹は好きじゃない」のセリフが不思議とずっと頭にある。
雨の降る中、百日紅の下で彼女が待っていたのはここだったような気がする。記憶があやふやで確信はないけれど、切なくて哀しくて、n-bunaさんの声を聴きながら胸がぎゅっとなった。


長めの暗転後、目の前に広がったのは大きな月だった。
今まで映像を映し出していたスクリーンが上がり、舞台の両端には大きな家? 家具? が立っていた。
それに加えて大きなソファ。頭上にはドーナツのように中央が空いた角ばったライト。
そのセットの中で、大きな月を背負いながら『嘘月』の演奏が始まった。
しっとりした曲を着席したまま聴く。
歌詞も相まって言葉にならない感情が湧いた。

『忘れてください』は『ただ君に晴れ』同様会場が手拍子で満たされた。
等間隔で鳴る拍手が心地いい。
『嘘月』からのしっとりとした曲調。
伴奏が耳に気持ちよくて、小さく左右に揺れたのを覚えている。
立ち上がったかどうかは覚えてないけれど。


ゆったりと落ち着いた曲が続く。この曲では立っていたと思う。
切ないけれど重くない、そんな感情が身体をゆっくりと満たしていくような感覚。
前二曲で身体の芯にしっかりとした重さがかかったのを、『花に亡霊』が浄化していくような、すっきりと視界を澄み切らせてくれたような。
そんな曲。


朗読㊄は相変わらず雨が降っていた。
内容も少しだけ暗く、戻りたいのに戻れない。
過去を思い出し羨み、どこか後悔しているような、心を擦り減らしているような情景が思い起こされる声だった。


そこからの『晴れ』は格別だった。
雨が止んだんだ。
そう思うには十分すぎるほどパッと視界が明るくなる。
朗読で過去に思いを馳せてからのこの曲は秀逸としか言えない。(誰目線?)
歌詞が彼の心情そのもののような気がしてならなかった。
最後のsuisさんのソロは胸をぎゅーっと締め付けるような迫力と重さ、叶いそうで叶わないような、懇願にも似た何かを叫んでいるように感じた。


suisさんの声の余韻を残しながら『冬眠』の少し落ち着いた曲が響く。
この辺りで「あ、誰か亡くなったんだな」と察した。
それが彼なのか彼女なのかは検討が付かなかったけれど。
ただ時が過ぎていくような歌詞は残された人を詩っているのだろうか。
提示された感情が重すぎて私は立っていることしか出来なかった。

彼がアルバム?を捲りながら外国の話をする。
アルバムの表紙になっていた煉瓦造りの町並みが、どこか遠くの風車が、焦燥感に駆られたような声音に合わせて変わっていく。
まるで生き急いでいるかのようだった。

そうして待ちに待った大好きな曲。
セトリが変わることは知っていたので、何とか残ってほしいと思っていた一曲。
「最低限の~」と声が鳴った瞬間の感動と興奮は言い表せない。
聴きたくて聴きたくてしょうがなかった。
けれど肝心の演奏はぶち上がったテンションのせいで朧気だった。
もう一回観たいなぁ。映像どんなだった?
歌詞が手書きになったことしか覚えてない。悔しい。


『パレード』『だから僕は音楽を辞めた』の映像に映し出される歌詞も手書きだった。今までの歌詞がデジタルなのに対して、この三曲だけアナログの手書きなのは味があってよかった。
映像に登場する顔が斜線で隠れた男の人はきっとエイミーで、三曲が手書きなのは彼の葛藤が現れてるのかな。
「間違ってないだろ」「間違ってないよな」「間違ってないよな」
の今にも泣き出しそうな声色。
そこからの「間違ってるんだよ、わかってるんだ」
の自分に言い聞かせるような声。
心の奥を擦り減らしながら歌ってる感に鳥肌が立った。自暴自棄になった主人公が視線の先に立っているような。そんな感覚。



突き放すような「音楽を辞めた」の歌詞後、穏やかな朗読の中で真実が明かされる。「犬相手に~」のセリフになるほどと腑に落ちた。妙に大きなセットは犬目線なのか。
亡くなったのは彼女で、その前世は彼とともに生きていた彼女で。変わらない部屋も、捲られていないカレンダーも、これまでの曲も、全部全部繋がった。点が線に、線が遠くに。

彼女の正体が明かされた直後の曲は『左右盲』
スクリーンに映し出された映像はきっと二人で暮らした家で、室内を歩くコーギーが一匹。
彼の姿はない。犬になった彼女が静かな部屋で匂いを嗅ぎ、右往左往している。鏡に映る自分の姿をじっと見る彼女。
映像とともに流れる曲は悲しく切ない。淋しさが会場全体に広がっていく。
何もない。何もかもが無くなっていく。
そんなやるせなさと、その奥に残るひとりぼっち感があった。



ラストの『花泥棒』はしんみりした中に希望が灯ったみたいに、ぽかぽかと心が温かくなった。背後に流れる映像が綺麗だった。
ラストのサビ前、ワンフレーズごとにそれぞれのソロ演奏があって、ライブ用のアレンジになっていたのが印象的だった。
ラストのサビ、「はらり」のところで会場がぱっと明るくなった。頭上を見上げればキラキラと光を反射させながら舞う何か。視界上にゆっくりと舞い落ちていく百日紅の花が、真っ白なライトたちに照らされている。
今まで見たどの景色より綺麗だった。ずっと頭上を見上げながら、耳だけは曲を聴いて。
前を見れば花吹雪の奥にsuisさんたちが見えた。
花嵐って、きっとこういう光景なんだろうな。
何もかもを覆い隠すみたいに舞うんだ。
隙間に見える景色は主人公の彼が、犬になった彼女が見たものなのかもしれない。


最後の朗読。
『左右盲』と『花泥棒』で登場したベランダに情景が重なって、けれどけして哀しすぎることはなく。
彼女が亡くなってどうしようもなくなった彼を救ったのは、紛れもなく彼女だったんだと。
そんな柔らかな余韻を残しながら、前世は終演した。


終演後に会場を出れば、貼ってあったポスターが軒並み貼り替わっているのに気付いた。
本を持っていた彼女は実は犬だった。花泥棒のMVと重なるところがあった。
MV見るたびにしんどくなりそう。
これだからヨルシカのファンは辞められない。


人生で二回目のライブ。一回目も二回目も大好きなヨルシカだという事実に多幸感がすごい。
きっと今回生で聴いた曲を耳にするたびに今日の光景が浮かぶのだろう。

赤く照らされたステージを。
スモークに延びるレーザーの綺麗さを。
降り続ける百日紅の花を。

ライブ用にアレンジされたイントロに間奏。曲と曲が綺麗に繋がり、その勢いを落とすことなく音楽が続いていく。
その時の会場に湧き立つ歓声は今の耳の奥に残っている。

泣いたりテンション振り切れたりでライブ中の記憶が途切れ途切れなんだけど、あの会場で全身でヨルシカを浴びた記憶は絶対に無くならない。
あの日の、たった数時間の夜が、私の中では永遠になる気がする。

大好き、ヨルシカ。
この先も私の生きる糧。




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