祝玖寿音曲祭 にっかり青江 の記憶

12/1昼公演の、カーテンコール。
「じゃあせっかくなので…今日はにっかりさん!」からの、「やあ」、そしてあのご挨拶、そして、誉ぽん。
あのうれしさ、感動。思い出しても本当にうれしい気持ちになります。

この公演、Kアリーナで拝見して、配信ではまだ見ていないので曖昧なところもありつつですが、
あのにっかりからの言葉、
なんか単騎の大千秋楽、香川レグザムホール公演の最後のダブルカーテンコールの「ただいま」のことが思い返されました。
数年間見てるファンの人、あるいは単騎出陣を見た方はみんな思ったのかなあ、とは思うのですが、あのにっかり青江の言葉は、三百年の子守歌で石切丸たちと任務を終えて、歌合で仲間が増えることはうれしいだけじゃないと言って、修行の旅に出て自分と向き合って、そしてこの本丸に帰ってきて9周年の祝いの祭に参加している青江なんだ、と、ありありと思う言葉でした。

もちろん、演じる新木さんがどういうふうに考えておられたかはわかりません、けれど、ああして、にっかり青江がミュージカル刀剣乱舞の本丸の審神者たちに向かって、話したこと、それはやっぱりどうしたってこれまでの物語の積み重ねがあっての言葉だと思います。
だから、あの時、横浜の会場にはその時その場の物語だけではなくて、これまでの物語も同時にあった。
それは、もちろんそういうことを言わなくても、言葉にしなくても、こうしてミュージカル刀剣乱舞が続いている限り、いつもそこにはこれまでの物語があります。
ただ、にっかり青江の言葉がこんなにうれしく感動するのか、なぜ単騎の大千秋楽の挨拶を思い出したのか?と考えた時、ひとつ思ったことは、こうです。
単騎出陣の大千秋楽の「ただいま」も、
今回の祝玖寿音曲祭のあいさつも、
「今この時」のにっかりの言葉を、新木さんが私たちに伝えてくれているんだ、ということが共通していたのではないかなということです。

それは、つまり、
新木さんの中ににっかり青江の物語がある。
私の中にもにっかり青江の物語がある。
それが、公演という生の場で、二つ重なって、その物語の続きをまさにその場で見ていることに、感動しているのじゃないかなと、そういうことを思いました。

帰り道、帰ってから、その日見たことを思い返したりしながら考えました。

真剣に積み重ねられてきたものを、今、受け取っているということ。真剣に受け取る、とういうこと。


など言いつつ、ひたすらかわいいかっこいいうれしいたのしい、抱えきれない魅力です。
mistake青江、抜かれてるところ完璧に格好良すぎて、ィ〜!!!になりました。
幕張で見て、Kアリーナで見て、やっぱ大大大大大大好きだ刀ミュ、になり配信で見て、青江動線を覚えて…また配信見て…千秋楽配信買って見て、ドーム発表されてぴょんぴょんしてる今剣とかいる中、にっこにこだけど手をあげたり拍手したりではなくただ小さく首を傾げてうれしいね、をあらわしてるにっかり青江、あのお顔、愛おしすぎました。はあ〜降臨してますね、2024年、にっかり青江。
サンバ、テンションの高さが振り切れてて、にっかりって、こうなんだ!…最高!!笑!笑顔!になりました。曲かかった瞬間挙動が振り切れててほんまによかった。後ろの雨さんたちがにっかりの真似しているのもかわいすぎた。
青江センターのげすわが見れる2024年嬉しすぎた。かっこよすぎ。魅力すごすぎ。今回の紺色ベスト大大大大大大好きです。
新木さんのお芝居がずっと、ほんとに、すごくて、なんか、完璧って、この世に、あるのかもな…。とか思いました。完璧を求めてるとかそういうことではなく、自然とそう思わされる凄さと魅力とが、、、

単騎を拝見した時、書いた文章に、このあとお祭出たらうんぬん書いてましたが、衣装うんぬんではなくて、単騎後の、きらめく、磨きがかかったにっかり青江がそこにいました。

本当に大好きです。






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