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PIERROTとの出会いを懐かしんでいたら子育てに不安を感じてきた話

今回は痔語り…ではなくてPIERROTに関する自語りです。30年近く前の話なので色々思い出しながら書いてみました。若干脚色アリ。

私が15歳の少女だった時、世はV6やkinki kidsなどのジャニーズアイドルが人気絶頂の時でした。
そんな中私はLUNA SEA、黒夢、邪眼・・邪王炎殺黒龍波・・・!と厨二病真っ盛りの中にいて、異彩を放つことで、☥ワタシハINORANノSLAVE☥と主張をしておりました。(学校に友達はいましたよー)

所謂V系というジャンルに初めて触れたのはLUNA SEAでした。STYLEが出た頃かな。それはもーーーかっこよくてかっこよくて、心酔しておりました。
体育の授業でいーちにーさーんし!ではなくeins、zwei、drei、vier…と数えてたのは私だけではないはず。ちなみにうちの夫氏はイーシンチュウ!リャンシンチュウ!サンシンチュウ!スーシンチュウ!とドラゴンボールの数え方で、俺は中国語わかるぞ!と言っていたらしい。人類皆バカです。

学校ではジャニーズファンが多かったけど、中高一貫校だったので、高校生の先輩などにSLAVE共がそこそこおり、少数派という感じではなかったけど、とにかくいの様が大好きでした。

あの頃はX、LUNA SEA、GLAY、ラルクなどが大人気で、ジャニーズにも引けを取っていなかったのではないかな。

当時まだLIVEには行ったことがなく(中学生の間は夜のコンサートはまだ禁止されていた)、ちょうどラルクが東京ドームの復活ライブを開催する時で、母親に土下座してどうしても行かせてくれと頼み込み、なんとか許可を得たものの、ファンクラブにも入ってない中学生がチケットを取れるわけもなく、初めてのコンサートは頓挫してしてしまいました。

そんな時、地元の友人Aちゃん(HIDEファンで不登校気味のヤンキー)がピエロってゆーかっこいいバンドがいるんだけど、ラルクがダメならこっちに行ってみない?と誘われたのがきっかけでした。

さっそくパンドラの匣とCELLULOIDを借りて聴いてみたら、ずぎゃん!と稲妻が走りました。初めて聴いたのは、自殺の理由。こんなもの、厨二病真っ盛りの中学生にぶっ刺さりだろうがい!と言わんばかりにどハマりして、買ってもらったばかりのMDに落として毎日毎日聴きどっぷりと浸かっていくのでした。部屋で爆音で聴き、A ちゃんに教わった振りやヘドバンの練習をし過ぎてブチギレた父親にゲンコツ喰らうこともありました。アホな中学生かわいい。

アホな中学生だけど、ピエロが際立っているのはすぐに理解出来ました。特に自殺の理由、CELLULOIDや脳内モルヒネなんて今まで一度も聞いたことのない音楽でした。15歳だった厨二少女は暗黒沼にズブズブとハマり沈んでいくのでありました。

チケットはAちゃんが取ってくれた、Dictators Circus Ⅱ zwei初日の新宿リキッドルーム。
周りの友達は東京ドームとか大きな場所でのコンサートに行っていたけど、私は歌舞伎町のライブハウスに行っちゃうんだぜという所も厨二心をくすぐったものです。

いよいよ当日、初めてのコンサート、初めてのライブハウス。自作のロリータファッションに身を包み、ドキドキしながら向かいました。いざ着くと小汚い雑居ビルの階段に並ばされ、ほんとにここでやんの?という不安に苛まれました。周りはは熟練のピエラー姐さん達ばかり。ちょっと怖かった。

何もかもがわからなさすぎて、とりあえず入ったところに待機して開演を待つ。客電が落ち、ライブは始まった。とてつもない音量がお腹に響いて、全てが衝撃的だった。

もう昔過ぎてライブの内容は思い出せないんだけど、キリトさんがよく動いていたような気がする笑
練習していた振りも上手に出来ないし、ヘドバンなんて実際にしたことないし、衝撃的すぎてほぼ棒立ちだったと思う。周りから見たらこのガキやる気ねえな!?と思われてたのかなぁ。でもめちゃくちゃ楽しくて、かっこよくて、とにかく夢中になった。蜘蛛の意図でヘドバンの嵐だった時はステージより客席見ていたと思う。

あと記憶が定かではないのだけど、確かそのライブでメジャーデビューすることが発表されたような気がするんだけど、当時何も知らなかった私はインディーズとメジャーの違いも分からず、発表で盛り上がってる中で、1人はて?となっていた記憶があります。笑 

そこからは完全に一直線で沼にハマってゆきました。雛鳥が初めて見たものを親だと思い込むように、そこからはずっとピエロちゃんについていくことになったのです。ピヨピヨのピエラーちゃんの誕生です。

メジャーデビューが決まり、Screenが発表され、非常に盛り上がっている時で、中野さん(中野サンプラザ)のインディーズラストのライブやツアー、あらゆるイベントに足を運び、金がないのでバイトを始め、高校の成績は急転直下、不良娘のおバカちゃんが爆誕したのでありました。

私には今度中学生になる娘がおりますが、ちゃんと教育出来るのか不安になってきました。

不良娘のおバカちゃんだったけど、裁縫が得意な母に教わって洋服作りをしていたので、コスプレ初めてみたり、お金なくロリータ服は買えなかったので手作りしたり、結果それが今の職業に繋がっているので、まぁ結果よければ全てヨシ、その時その時を全力で楽しもうぜというスタンスが形成されました。

話は逸れますが、偉大なのは私の母であるなと思います。成績は悪くなり、バイトをし、髪の毛を染めピアスをあけても何も言わなかったのです。一度ラジオの出待ちで赤坂でオールしたいがために、友達の家に泊まると嘘をついたら秒でバレ、ヌッコロされかけたことはありますが、一度決めたら曲げない頑固娘なもので、もー警察に捕まらなければなんでもいいです(泣)と言っていました。笑
かーちゃんごめんね。かーごめ。

ちなみに我が娘も決めたら曲げない頑固娘なのでますます不安になってきました。

娘が夜遅くにフラフラ出歩き、よくわかんない危なさそうなお兄ちゃん達に心酔し、勉強もせず髪を派手に染め、ピアスをあけ遊びまくってたら恐らくダブルビンタです。笑 弟子やったらパンパンやな

娘の人生は娘のものなので好きに生きたらいいと思いますが、やっぱり危険な目にあって欲しくないし、変な人に近寄って欲しくないという親心。
私の母親は何も言わなかったけど、きっと内心心配だらけだったのだろうな。PIERROTかっこいいねと一緒にライブビデオ見てくれるようなかーちゃんだったけど。(まだ元気に生きてる)

私も母親の様に、子供を信じて好きにさせてあげ、見守ってあげられる母親になれるだろうか。自分の過去と重ね合わせてこれもまた試練なのだなと思います。人生まだまだ波乱がありそうです。ばっちこいやですね。

まーそんな感じでなんやかんやあり、PIERROTちゃんから卒業して社会に揉まれ、紆余曲折酸いも甘いも経験し、こんな私でも人の親になり、メンタル最強おばちゃんに進化し、色んな道を通ってまたPIERROTに出会うことが出来ました。

ヘドバンのしすぎで痔が悪化して泣いていたら、たくさんのピエラーちゃんが励ましてくれました。本当にありがとうございました。自分のマヌケさはPIERROTちゃんが好きになった15歳のあの頃と何も変わってないなと思いました。笑

全てが奇跡のような出来事だと思っています。
40歳超えて、また私の人生に刺激と潤いと愛しさと切なさと心強さを与えてくれるPIERROT、ピエラーちゃんに大感謝です。

この状況当たり前じゃねえからな!と心に加藤浩次を宿しながら、また推させえもらえる幸せを噛み締めながら、子育ても自分の人生も楽しみたいと思います〜という話でした。

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