言葉なんて無力だけれど、伝えようという気持ちは失いたくない
※感じたことがあったので書きますが、不快になる方もいらっしゃる内容かもしれません。
池江璃花子選手が急性白血病だということを公表されましたね。
真っ先に思い出したのは、同じ病気で亡くなった友人のこと。だったのでニュースを見た瞬間少し涙が出てしまった。
ちょうど彼女も海外旅行中に(池江選手は旅行ではないけど)不調を訴え、帰国して病気が発覚した。彼女も前向きだったけど、若くて進行が早くて、あっという間だったのを覚えている。やっかいな病気と聞いていたしやり取りで悪い病気なのは察していたけど、多分病名を口にしたくないのだろうなと思っていたから聞かなかったので、亡くなった後に教えていただいた。
池江選手はもっと若いなぁ…と思ってしまったけれど、お医者さんも初期と言っているし、もうその時からだいぶ経っているのだから治療も進んでいるだろう。快復を心からお祈りしている。
その上で、輝かしい言葉で片付けられらようなことでもないし、厳しい現実に打ちのめされたクチだから、テレビでとても美しいことのような、前向きすぎる言葉を並べている人には違和感を感じた。でもそれはたまたま体験したからで、実際彼女の快復を心から願っているのは同じだと思うから、そんなに差はないのかも。結局は当事者ではないから、あまり語るべきでもないのだろうけど。
がっかりという言葉を使うのは本当にありえないけど、こういう時、どんな言葉をかけるのが適切かわからないよね。どんな言葉を使ったら嫌な思いをさせたり傷つけずに済むのか、どれが正解でどれが不正解なんていうことでもないのだろうけれど、何度経験してもすっごく悩む。
その子の入院中にメールするとき、病気で入院しているのだから「元気?」は使わない、もちろん絶対に「頑張って」みたいな言葉は使わない。時間がかかるのだから「早く良くなるといいね」みたいなニュアンスは使わない、「退院したらあそこに行こう」これはありかな。あまり気を遣いすぎるのも微妙だし向こうの状況も聞きつつ自分のことも話すけど、絶対に自分が大変みたいな言葉は言わないぞ。とか。就職が先延ばしになってしまったのだから、あまり仕事の話はしないようにしようとか。いろいろ考えていたなぁ。
もちろん、どう感じてたかなんてわからないし、傷つけた言葉もあったかもしれない。その時の私の生活はすべて、その時の彼女ができないことだったから、どうしても嫌な気持ちにさせちゃうこともあったかもしれない。
彼女がいなくなってから嫌なこともつらいこともどん底だと思うことをずいぶんあったけど、この体験やこの気持ちもあの子は体験できなかったことなのかもしれない、生きてるから感じられることかもしれない、
言葉を使う仕事をしているし、言葉の力を信じているけれど、同じくらい言葉の無力さを感じることもある。うまく使えることはないけれど、伝える努力をし続けることが大切なのかなと思う。うまく話せなくても伝えたいことが伝わるように。
書いているうちに何を言いたいのかわからない感じになってきたけれども、ちょうど今自分が悩みに悩みまくっていることのひとつの答えかもな、これ。