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あの人たちの習慣

こだわりの習慣を持っているということは、何らかの経験から自分のスタイルを確立しているということだと思う。なので習慣を持つことにとても憧れるのだが、どちらかというと習慣にする前に飽きてやめてしまう情けないたちだ。

過去に出会った人たちの、印象的な習慣を思い出してみた。

元彼とのプリクラはまっぷたつ

大学時代、中学生から常に彼氏が途切れたことがないという友人がいた。大学1年で出会った時点で8人目の彼氏と付き合っていた彼女。とても親しかったが、恋愛に関しては大学生で初恋をやっているような私からしたら未知の生物でしかなかった。

ほどなくして彼女は8人目の彼氏と別れ、カフェでその話をしながら私の目の前でハサミを出し、元彼となってしまった相手とのプリクラを切り裂き始めた。

ことごとく自分と(元)彼の間を目がけてハサミを入れ、細かく分かれた2人の写真、すべてまっぷたつにした。全部切り終わると自分が写った方はすべて手元に残し、(元)彼が写った方はまとめてゴミ箱へポイした。

そこまでしなくてもという気持ちと、切っても彼と一緒にいる時の写真であることは変わらないのに自分の部分は残すんだ! という気持ち。いろいろな衝撃があったのを覚えている。

その後自分も別れを経験すると、なかなか別れた直後にできないなと思う。とても潔い。彼女とは今も友達だが、決して別れた相手はどうでも良くなるタイプの人ではない。別れた相手に対していろいろ思うことはあったのだろうが、彼女なりの次へ進むための儀式だったのだ。

無事終わった予定は消していく

これもまた大学時代の友人の話だが、まだスマホがなかった当時、予定を確認し合う際にお互いの手帳を取り出すことも多かった。

彼はスケジュール帳のマンスリー欄にびっしりと予定を書き込んでいた。すべてシャープペンシルで書かれていた。
予定を確認した後、彼は「あ、これはもうすぎてるから消さなきゃ」と言って、その日の前日までの予定をすべて消してしまったのだ!

後から見返すことも手帳の役割だと思っていた私は驚いた。「ええ、せっかく書いたのに消しちゃうの?」と言ったが、彼としては「終わったことがここに残ってるのが嫌なんだよね」ということだった。

彼に何度か本を貸してもらったことがあったが、本には赤線がたくさん引かれていた。私だったら手帳に書いたことは残したいし人に線を引いた箇所を見られるのは恥ずかしい。感覚は人それぞれだ。

でも、これからのことだけを残していくスタイルはかっこいいなとも思う。

「いままで」に別れを告げ、「これから」に向かうためのスイッチ

こうして印象的な他人の習慣を思い出してみると、どちらも過去をそれぞれの方法で切り捨て、これからの未来の方を向くための行為が習慣となっていたのだなと思う。

何となく習慣とは「生活の中にある素敵な習慣」みたいなことだと思って自分で勝手にハードルを上げていたが、より良い未来を作るために自分なら何をするか、それを考えることで見つけられるかもしれない。

#明日のライターゼミ #こだわりの習慣

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