うちの父がいいパパかどうかという話はさておき。
今日は父の日。先日ツイートした通り、うちのパパは性格がいいか悪いかというとよくはないと思う。人の気持ちがわからないし、デリカシーもないし、自己中だし、やらかして家族に迷惑をかけても反省しないで開き直るし、酒飲みだし、パパでなければ嫌いだなと思うことがよくある。おそらく私が一番よくけんかしているし、そういう時ガラが悪いと家族に言われるけど間違いなく父のせいだ。
一番いやなのはお酒を飲みすぎること。父を見てきたおかげでわたしは一度もお酒で粗相をしたことがない。毎日お酒を飲むから進学や就職などの話題が出るときも常に酔っているので、たびたび口論になった。飲み会帰りに乗り過ごして父の経路とともに車で移動して大変な目にあったことも何度もある。許せないのは、高校生の頃だろうか、母が入院したとき母方の祖父母が家にきていて、祖母がかなりやばい性格の人なのでそれも悪いのだが、何を腹が立っていたのか知らないが100%悪くないことで殴られたこと。そこから数年父のことが嫌いだったし、2週間くらいは口をきかなかったし、最近になってその時の話をしたら覚えていなかった上にどうせお前が悪かったんだろうというようなことを言って、ほんと最低だなと思った。酔って人に嫌な思いをさせて自分は全く覚えていないから、酔っぱらいは嫌いだ。
最近はそこまでけんかはしないけど、相変わらず飲む量が多いので心配だ。そこそこいい歳なんだし、身体を大事にしてほしいのに。
嫌なところを先に書いてしまったが、父はほんとにたまに、酔っぱらいながら私に突然打ち明け話をしてくることがある。大好きだった祖父が亡くなって私が元気がなかったころのことだ。
ある晩父はこう言った。
「パパは何かあったとき一番に浮かぶのがかわいいかわいい〇〇(私の名前)ちゃんで、二番目がかわいいかわいい(妹の名前)ちゃんで、三番目がかわいいっかわいい(母の名前)ちゃんだから、パパぐみちゃんには頑張ってほしいんだ」
びっくりした。父は絶対私より妹のほうがかわいいんだと思ってたから。よく私のこと嫌いなんじゃないかと思うことがあったし、けんかしたとき必ず妹の方を持ったし、何なら全然状況を知らないくせに少しでも口論になるとわたしのことをとがめた。あと、これは本心ではないだろうけど、すごく小さいころ自分といってほしくてどっちも好きと言われているのに「妹ちゃんと私ちゃん、どっちが好き?」としつこく聞いて、むっとして「妹ちゃん」と言われたことがあったし。
普段家族にはあまり素直な言葉を言えないけど、このときは
「うん、ありがとう」
と言った。
以前書いたおじいちゃんについてはまあそうかなとは思っていたけど、父が一番好きなのは絶対私じゃないと思ったのに。
数年後に母にその話をしたら、
「ちょうどあんたが生まれたころ、会社でいろいろしんどいことが重なった時期で辞めてやると思ったこともあったみたいだけど、『家に帰って寝てる子どもの顔を見るとこんなんじゃ駄目だなと思って頑張れた』と言ってたから、やっぱり特別な気持ちがあるのかもね」と言われた。
祖父のみならず父にもそんな風に言ってもらってしまったからには、やはり頑張って生きなければならない。このときの言葉を、今もときおり思い出して支えられている。
仮面浪人で口論してたときも一度こういうことがあった。
母が寝室に行き、酔った父が食卓に座っているタイミングで帰宅するのが私だからなのか、絡み酒でない日は普段あまり話さなかった思い出話をしてくるときがある。私が生まれる前に、53歳で亡くなった祖母の話。亡くなった祖父の話。同じ話なこともあるけど、そういう話を聞くのは嫌いではない。
先日、近所に住む人が亡くなった。普段人に興味なさそうな父だが、
「〇〇さんはパパがここに引っ越してきたときに初めて話しかけてくれた人で、あるお祭りのときにパパが朝からずっとお餅をついてて、そろそろつき終わるし自分も食べようと思ったら『それは××さんの分だからだめ』という人がいたんだけど、〇〇さんが『この人は朝からずっと餅ついてるんだから食べさせてあげてよ』と言ってくれたんだ」
と言ってきた。
「そうなんだ。〇〇さんにはお世話になったんだね。じゃあ亡くなってしまってかなしいね」
といったら「うん」と答えた(素直にこういうことを言うのはとてもとても珍しい)。
もっとこういうパパだったらよかったのに、と何度も思ったことあるし、一緒に出かけるとだいだい恥ずかしい思いをするけど、小さいころからいろんなところに遊びに連れていってくれて、買い物にも連れていってくれて、定型の昔話に飽きた私たちが「つながるお話して」というと、あかずきんちゃんと桃太郎など、いろいろな話をくっつけた話をしてくれた。忘れられないのが、小学校低学年のとき一緒にお風呂に入っていて、松田聖子の青い珊瑚礁の替え歌「あ~白いお尻見つめて~走れあの島へ」と言いながらお尻を振って踊っていて笑い死ぬかと思ったことだ(父のお尻は黒い)。あと、子どものときは鍵の音がした瞬間に玄関まで走って行って出迎えていたけどスーツを着て、私たちを見て笑顔になる父はかっこよかった(今はただのおっさんだけど)。
あと、本人以外から聞いた父の話で好きなのは、大学に現役合格したのに、当時は学生運動が盛んで授業が中止になることが多く「なぜ授業がないのにテストだけして成績をつけるのか」という話になったそうだ。たいていの生徒は結局単位が惜しくて試験を受けたが、父は受けずに留年した。一流は覚悟してたと思うが、結局その翌年講堂が破壊されて受験が中止になり、一年生が入ってこない=試験がない、ということで結果二留になってしまった。
その話を聞いたとき、はじめて私の父っぽいなと思った。馬鹿だと思われる行動だと思うけど、自分が損するのわかってておかしいだろと思ったことに対抗しちゃうの、嫌いじゃない。
何だかんだ、悪くないパパだなと今は思っている。絶対面と向かって言えないけど、ありがとう。