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不平と不満をとり除くと人には何が残るだろう

毎日仕事をしていようが、していなかろうが
ひとりでいようが、大人数でいようが
自立していようが、依存していようが
現状に大満足している人はどのくらいいるのだろう
今が人生のピークだと言い切れる人はどれくらいいるだろう
不平や不満という感情を抱かずに生きることは
本当に素晴らしいことなんだろうか
ボクたちのセカイには大きい小さいにかかわらず
不平と不満は至るところに溢れている

「不平や不満を言うのは良くない」という言葉が昔からあって
それは今もずっと言われ続けていて
不平や不満を言っても幸せになれないだとか、解決しないだとか
ろくな人間にならないとか、クソミソにこき下ろされているにも関わらず
未だに会社のトイレや給湯室、体育館の裏、居酒屋のカウンター
公園のベンチ、喫茶店のテーブル、Twitterの画面とか
いろんなところで不平や不満が溢れ漏れているのはなぜだろう

不平不満自体が良くないのか、不平不満を言うのが良くないのか
ボクは不平や不満というのは、理想と現実の乖離や不公平、不条理に対して何とかバランスを取ろうとする心なんじゃないかなと思うんだ
「現状に満足せずに常に疑問を持ち平穏を志す」と言えば
少しばかり聞こえが良すぎるかな
だから勝手に思う分には大いに結構だとおもっている
不平不満自体は悪くない
というかこのセカイがそう思わざる負えないほど
アンバランスな事だらけという事にもなるのかな

不平や不満を口にするなという事が言われたりするけど
察するにそれはネガティブ要素しかないからだとして
でもそれって「愚痴」やつなんじゃないかな
愚痴とは言ってもしかたのないことを言って嘆くことなんだ
だからなんの解決にも足しにも為にもならない
とても感情的な行為なんだ
不平や不満と愚痴を混同してしまうのは良くない
きっちり分けて区別するべき項目で
この話は「不平や不満」なのか「愚痴」なのか見極めておくことが大事
もし、それが「愚痴」であったら、愚痴は居酒屋で酒と共に流し込むか
信頼できる相手だけにこっそりこぼすのが綺麗なマナー
「不平や不満」であったら、その感情はきちんと飼いならすことで
適当な言葉で話すことができると思うんだ

人から不平や不満をとり除いてしまったら
なにもこれ以上求めることのない
全てに満足しきってしまった
「あがり」がキマりまくってた向上心や好奇心ゼロの
燃えカスみたいなモノが残るのだろうな

まだ燃やすことのできる不平や不満があるなら
燃やしてもっと高みまで望んでやる
それくらいがこのセカイで生きていくには丁度いいんじゃないかな


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