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インタビューウィズ???

桜開花宣言が出たらしいけど
昼間の公園はまだまだ寒い
昼間で8度とか正気ですか

インタビューというものを人生で初めて受けてから
1年が経った
対象者として発信したいものがあったからこそ
話をしていた
厳密に言えば発信することに重点があった
確固たる発信テーマがあったかと言われれば、ない
自分の中にあるものを
見ず知らずの第三者へ開示していく
そういう一種の承認欲求を満たすものであったかもしれない
それはリアルであってもフィクションであっても
確かめようのないものであって
そうやって自分の都合の良いものだけを開示して
アイデンティティやレゾンデートルを強化してゆく
気分を良くして2回、3回繰り返すうちに物足りなさを感じてくるようになった
それは結局やっていることが
自己都合主義のフィルターがかかった
独りよがりなモノローグでしかなかったからだ

僕は対話つまりダイアローグを欲した
ダイアローグから産まれるモノローグには
ナラティブがあるからだ
記念写真的な切り取りを目的としたものであれば
一回限りで申し分ないだろう
だけども自分という人間を表現するには
特異点ごとにしるしをつけなければ難しい
僕という人間の物語は終わっていないからだ

物語を続けるには継続的な観測が必要だし
他者の介在を得て引き出さないと顕在化しないものもある
ダイアローグの中で産まれるものは
はっきり言って相手との相性に左右される
こればっかりはやってみなければわからない
難産の場合もあれば、あっさり出てくることもあるし全く出てこないこともある

インタビューには現在と過去しかない
常に定点観測的なダイアローグが必要で
そこから産み出されるものが時系列で並び
それぞれの点が結びついて線となり物語となる

己をさらけ出すことには勇気も必要だ
それには痛みや苦しみを伴う
だからこそ生きてるというしるしが示せる
墓場まで持っていくような大事な秘密なんて
本当にあるのか?
薄っぺらいキラキラインタビューみたいな
自己肯定感を埋めるだけのクソなものはうんざりだ

人間はあわせ鏡だ
本気で来なければ本気が出ない
だから死ぬ気で来いよ


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