あの日はドーナツのように
いつからか年賀状は郵便局と保険会社からだけになって
年に一度の近況報告というものはFacebookにとって代わられ
日本の古き良き風習なのか資源の無駄遣いなのか
よくわからない存在になってきたな
「あけおめことよろ」と8文字で済ます社交辞令
短縮言葉が盛んに使われるのは
情報化社会の影響でボクたちの周りに情報が多すぎるから
言葉も圧縮ファイルにしないと日が暮れてしまう
いつのまにかプリントゴッコのCMも見なくなった
現代ティーンは自宅で版画の要領でインクで年賀状を
作っていたなんて信じてもらえないかもしれない
インクと言えばスプラトゥーンしか思い浮かばない
こういう風習は気がついたら、どんどん風化して縮小して
ゆくゆくは伝統文化みたいな感じで保護されていって
年賀状自体はなくなりはしないけれど、使う人はいなくなって
未来には年賀状作成体験とかいって
金でも払って体験学習する子供とか出はじめたりして
古き良き日本の歴史としていい感じに色褪せていくんだな
郵政公社には申し訳ないが怒涛の時代の流れを噛みしめている
代替品の肝心Facebookは
ローカル回覧板みたいなものになってしまっていて
若者は早期に他SNSに撤退しちゃったみたい
Pew Research Centerの調査では
米中高生のFacebookの利用率は2014年の71%に対して
2022年では32%まで半減している
SNS界隈の栄枯盛衰を感じながら
平家物語みたいだなと思った
まぁソーシャルプラットフォームの再利用的なエコシステムは
今風でいいんじゃないかと思うんだ
そんなエコなSNSの中にも問題が実はあって
The Fear Of Missing Out 通称「FOMO」
ネットの中で自分だけが取り残される不安と恐怖
少し前では「CLUB HOUSE」では聞き逃す恐怖が増幅された
みんな知らない所で起こっている出来事に
置いていかれないか心配で怯えているんだ
不思議だよね
知らないってことよりは、知らないままでいいものが
世の中の大多数のハズなのに
相互評価計経済の中では信頼貯蓄ってのが
実際の現ナマより価値のあるものになってきていて
人を信じられるかどうかっていうのが大事で
信じるということは何も他者に対してだけではなくて
自分自身もそうだし
事物に対しても、虚像に対してもそうだ
人の「信じる」という行為は
未来の仮定の話の事なんだよね
未確定の未来を想像できる力ってのは
どうやらホモサピエンスにだけ与えられた能力らしいと
どっかのハラリが云っていた
そんな特別な能力である「信じる」という行為を
ボクたちはみんな毎日毎日行使し続けて
何気ない日常を繰り返し
終わりなき日常を繰り返し
未来へと繋げているんだな
ぽっかりと空いた胸に少しの隙間風と
心地よさを感じた
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