最終電車を待ちわびて
この街に新しい命が生まれ
成長し巣立って行く者
外から街にやってくる者
この街で最後の時を迎える者
道は動脈のように人の流れを作り
街の中心で大きくかたまり、うごめく
街全体が生き物のように鼓動する
意思をもった生命体のように
時代と共に人の流動性は加速してゆき
流れは地球規模にまで達し
巨大な集合体を形成し始めた
それぞれに発生した集合体は
肥大化するために動脈を広げ
集合体間の流れは休むことなく流れ続けた
2020年ある日、流れは動脈硬化のように止まった
街はフィジカルな流動性を失い
デジタルな流動性へ望みを託した
望みがどうなるか誰も答えは知る由もない
たぶん100年後くらいに答えが出て
あの時こうしておけばよかった、ああしておけばよかったと
後出しじゃんけんのように当時の人たちは愚かだと
未来の人たちに言われるんだ
今のボクたちが過去の人たちにしているように
この街のかたまり
集合体を構成するのは個々の人間で
集合体の意識は総括された「みんな」だ
「みんな」という想像上の共有複合体
「みんな」なんてものは本来は存在しない
大多数の統合人格として
各々の中にあって共有される架空の人格
赤信号みんなで渡れば怖くない
存在しない「みんな」という人格に後押しされて
群集は突き動かされてゆく
ボクたちは姿形が見えない「みんな」に
どれほど翻弄されたことだろう
積み上げてきた歴史は「みんな」のおかげで
繰り返す過ちは「みんな」のせいだ
トマス・ホッブズに云わせれば
リヴァイアサンという巨人の形をしたあいつだ
子供の頃先生に何度も言われたスローガン
「一致団結」
協調性のないコドモだと叱られ
みんなと仲良くしろ、みんなの気持ちを考えろ
ホームルームで話し合ったこと
クラスで決めたこと
知らない大きな顔がそこにあった
みんな友達だからなとオトナに教えられ
「ともだち」とは互いに申告して
はじめて成立するものだと思っていた
どうやらコモンセンスを察知する感覚が
人一倍鈍かったらしい
擦れていけば慣れるもの
20年かかってみんなの輪に交じった
時代が変化していけば
おのずと新陳代謝がおこる
フィジカルだろうが、デジタルだろうが
生まれ死んでゆく者たちが入れ替わり
思考や行動が変わり、集団の色が変わる
人生と同じ速さで、同じ遅さで変化していく
文化や習慣も変化していく
noteというプラットフォームも新陳代謝がおこる
ボクがこの村に来た時とは景色が変わった
至極当然の流れで
あの頃がよかった、昔はこうだったといった所で
時間は1ミリも逆行しない
もしくはボクが変わった
ボクが違う場所にいるのかもしれない
それもこれも
顔の見えない「みんな」が変わってしまったからだ
絶えず代謝はおこる
”たられば”は甘えでやり直しは効かない
人が想像力豊かになった代償
マルチバースのない一回性の世界で
元には戻らない現実
それは分かっていて
だからこそ「あえて」後悔する
悔やんで、悔やんで
打たれた鋼のように強くなっていく
強くならなきゃいけないんだ
弱くてもいいなんて嘘
ありのままでいいなんて嘘
ある日突然天変地異が起こってしまえば
すべて終わってしまうんだよ
だから
後悔して
後悔して
悔いを残して死にきれねぇって
生きていけば
少しはマシなんじゃないかな
なぁ、生きているか
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