[伝記]ぐれるんがeスポーツの会社に入ってから退職するまでの軌跡 学生時代〜就職編
前書き
いつもお世話になっております。
ぐれるんです。
今月10月で晴れて今まで勤め上げてきたeスポーツの会社を退職、この記事は、最後の有休消化の期間で書いています。絶賛無職!!!
ほんでXやらなんやらで「eスポーツ業界にこれから勤めたい人や携わってみたい人がいるけどどうしたらええねん!」みたいなのを見かけたので、参考までにオイラの場合の話を聞いて行ってくださいよ。ヘッヘッヘ・・・。
僕の人生の振り返りも兼ねているので、関係ない雑多な話も多く混ざっています。自分が当てはまらないなあってことは適当に読み飛ばしちゃっていいかもです!気軽に読んで!
あと、自分の話からマイナスイメージ持たれる可能性もあるし、そういうので元職場とか関係各所に迷惑かけるわけにもいかんので、企業名や固有名や時系列はぼかします。
念押ししますが、この記事には批判や政治的な意図は一切含まれておらず、僕が体験して感じてきたことをありのまま書くだけなので、あらかじめよろしくお願いします。
学生〜就職編
まずは僕のバックボーンに触れていきます。
・福岡で一人暮らしを始める。
18歳の受験シーズン、僕は志望してた私立大学の推薦に落ちてました(^o^)
当時の僕も当然ゲームが大好きで、なんとかゲームに携われる仕事がやりたくて、情報系の進路を志望していたのですが、学力的にも内申的にも酷かったので、概ね落ちる覚悟はできていました。
そもそも勉強なんかせずに、高3のギリギリまでオンラインゲームに没頭して、コミュニティ主催の大会運営にいくつか携わったり、同じくらいのランクのメンバーとチームを組んで大きな大会に出てたり、非常にゆったりとした受験生活を送っている状況。
どう考えてもマイペースすぎる僕は、将来に特になんの不安も抱いてませんでした。とにかく今この瞬間好きなことできればいいやとか思ってたので。
とりあえず中学のころからパソコンで動画を編集したり、画像を加工したりといったことは得意だったので、さらに難易度の高い映像編集技術を学ぶために、専門学校の映像科に行ってみることにしました。
何故映像の腕を磨きたかったというと、3Dの技術を応用したFPSのシーンハイライトやゲームのトレーラームービーを作れるようになりたかったからです。
これはプレイヤーでもクリエイターでもあった僕が当時最も影響を受けた動画です。
まあ脳死でカッコいい作品を作れたら、今携わってる大会をもっとカッコよく派手に演出できるし、何よりチヤホヤされたかったんですぅ・・・(汗)
というわけで19歳から福岡で一人暮らしを始め、専門学校生活がスタートしました。もちろん生活するために仕送りだけを当てにするわけにはいかないので、アルバイトをすることになりました。
・アルバイトで初めてeスポーツ業界に突入。
そこで、福岡市内で当時唯一(?)存在したeスポーツカフェのアルバイト募集をTwitterで見かけて、迷わずすぐに応募しました。
接客の仕事は初めてでしたが、無事アルバイト採用されることになり、学校と並行してアルバイトに通う生活をしばらく続けていました。
eスポーツカフェでのアルバイト体験は、僕の中で新しい可能性が芽吹く場所になっていました。
まず僕が働いていたeスポーツカフェの環境について。
時給は確かそんなに高くなかったはず。900~1000円くらい?(記憶が曖昧で覚えてません。)
僕が入った時期は、オーナーがeスポーツ事業を開業してからそれほど経っておらず、社員や店長ですら別の業界から配属された人だったので、「eスポーツ」に関する知識がほぼ0からのスタートだったのです。
eスポーツがそこそこ流行っている今となっては、そんな店舗は珍しいのかもしれませんが、仮にeスポーツに関わる仕事に就けたからといってその会社が自分よりeスポーツに詳しいとは限らないということを覚えてほしいです。
僕は比較的他のスタッフよりゲームやPCに関する知識に長けていたので、清掃や飲食の提供、レジ会計などの通常業務のほかに、ゲーミングPCの設定メンテナンスを積極的にしていたり、必要に応じてOSの初期化手順や、ゲームアカウント用のマニュアルを作成したりなどしてました。
店舗で働いた期間は結果的には1年と少しでしたが、その間に社員さんや先輩スタッフからの信頼を得ることができ、その後のキャリアにつながっていきます。
むしろ周りにeスポーツを知っている人がいない環境だったからこそ、通常より成長できるきっかけになったのかもしれません。
・学校生活への不満
一方学校生活はというと。
僕にとっては学校の授業がクソみたいにつまらなかったのでした。
当たり前なんですが、学校という場所では、クラスメイト全員が足並みを揃えて決まったカリキュラムを受ける必要があります。
入学時点ではPCのことが全くわからない人もいるので、そんな学生がいる前提で作られているわけです。
最初のうちは使ったことのない3D映像ソフトを扱ったり、野外撮影の授業でカメラのことを学んだり等、今まで得られなかった新しい発見はありましたが、ほとんどは僕にとって新鮮な知識ではなく、とっくの昔に学んで身につけていた知識だったのです。
そんなこんなで、僕の悪癖が発動します。
「先生の話聞かないで自分のやりたい作業に没頭」
「提出物まともに出さない」
「興味のない授業全部寝てる」
クソ野郎すぎて、今思い出しても恥ずかしいですね。
この悪癖は、中学高校の時から一貫して成長することはなかったのです。
当然講師からお叱りを受けることもあり、責められた重圧感で授業中に嘔吐することもありました。本当に情けない。何やってんだ。
ただ僕には合わない居場所だった。それだけ。
でも、そんなことをやっていても思いがけない収穫もありました。
・学校をサボってバーチャルYouTuber業を始める。
知っている方も多いかもしれませんが、一時期別の名義を使ってバーチャルYouTuber(今はライバーと言った方が適切かも)としてライブ配信活動をしていた時期がありました。大体2年間くらい。
2019年あたりは特にバーチャルYouTuberという文化がインターネットでバズりにバズりまくっていましたね。
サブカルに影響されやすい僕は、学校の提出物や授業に費やすはずだった時間を使って(極悪)、自作のイラストをLive2Dを使ってモデリングして活動を始めました。
定まったビジョンは決めず、漠然と「やってみたかったからやってみた」だけでした。The・見切り発車。
がむしゃらに毎日配信したり、他の配信者と積極的に交流してコラボしたりなど、今より特にアクティブに動いてた時期です。ほんとこの時の行動力が全盛期かもしれない。
効率的にバズらせるプランは全く準備していないのもあり、最後までYouTubeの収益化まで繋がることはありませんでしたが、広告収入以上に、横の繋がりや配信技術の知識、イラスト制作、リリックビデオ制作など、特にクリエイター/技術者として急成長した時期なのは間違いありません。
・eスポーツ業界へ。
そんなこんなでコロナパンデミックが到来。日本中が大混乱になる中、学校の授業はリモートになり、バイト先は休業し一時的に収入が0に。
これを逆に好機と捉えた僕は(全然好機じゃない、むしろ金銭的にはかなりピンチ)、例のバーチャル活動にただひたすらに打ち込んでいました。
ガッツリコロナ禍にやられてた5月ごろ、そろそろ別のバイトを探さないとなと考え始めたころ、バイト先の先輩から一本の電話が。
「ぐれるんさん、本社でアルバイトしない??」
脈絡もなくそんな話をもらって、僕は二つ返事で承諾しました。
そうしてまもなく、店舗業務だけではなくeスポーツに関わる全ての業務に携わることになりました。
最初は雑用的な役割が多かったです。忙しすぎてあまり時系列の記憶がないですが、店舗から椅子や机を運び出す肉体労働もあれば、配信ソフトの扱い方をマニュアル資料にしたり、イベント参加用の規約を作ったりなどオフィスワーク的なこともやりました。
少なくともeスポーツには直接は関係ない仕事がほとんどだったと記憶しています。
とにかく色んな現場を巡らせてもらったおかげで、社会人的な経験とビジネスマナーを学ぶことができました。イベントで出張に行くこともあったり泊まり込みで作業することもありましたし。う〜んこれは労基。
あとは配信系は僕がワンマンでやるしかなく、映像作りに関する専門的な知識は多少あっても、まともな機材やケーブルはないし、そもそも使い方や存在も知らないような状態だったので、正直gdgdだった感は否めないです。映像仕込みやスイッチング、音響調整とかありとあらゆるできる限りのことをネットで調べたり有識者に教えてもらいながら尽力しました。
なんとなーくですが、よくわからない事柄があるなら、自発的に調べたり人から聞いたりする癖がいい方向に働いたのかなと。
でもここまで決して仕事が嫌だったことはなく、とにかく自分に出来ることでeスポーツ業界に好きなことに貢献したい気持ちで必死でした。
難しいことでもできるようになれればいいな〜くらいの精神で、絶対に「できない」「不可能」という言葉は使わず、「難しいけど、とりあえずやってみます」とトライしてみれば、なんだかんだ自分の成長になったので、
もちろん「失敗」しないということも大切ですが、「挑戦」できる環境なら積極的に試していった方が自分的にはお得だと思ってます。場合にもよるけど。
やりがい搾取と言われればそうかもしれないけど、当時はなんだかんだ成長曲線上にいてとにかく楽しかったので。うん。
そんで月日は流れ、2020年末。
eスポーツ業界に入る決心をします(勝手に。)
そもそも学校行きたくないし、学校で得て学べる要素より会社に入って学べることのほうが僕にとって圧倒的に価値があったのです。
高い奨学金も借りていたので、どうせ中退するなら判断は早い方がいいと考えていました。
というか卒業した後で会社に入ろうとしても、eスポーツ業界はさらに成長して僕が追いつくことができない可能性が高かったので、今このタイミングがベストだと。
そして、翌年春から新卒採用で、eスポーツ業界に足を踏み入れることになったのです。。。
濃密すぎた2年間。結局色々やっておいた方がいいと思う。
・eスポーツカフェでのアルバイト
・映像の専門学校
・バーチャルYouTuber
2年間でこれだけのことをやりました。
これらから得られた教訓、、、というか結果的にそうなったのは、「自分の適性」を試すためにもまず思いつくことを色々やってみた方がいいってことです。
一旦継続させるための工夫は置いておいて、今ある趣味とか気になることがあればとにかくやってみること!
なんとなくじゃなくて、実現するビジョンが明確で身近ですぐ手をつければできそうな程度ほどいいです!
クリエイティブの技術を身につけるのは比較的簡単です、作り方をネットで調べてとにかく作ればいいので(適当)。
いや、これ「んな無責任な・・・w」とかじゃなくて!
やり方を調べて実行するだけで満点なんです。GoogleMapとかで経路検索して移動するのと同じで、1回でもやり方覚えたら、マップ頼らなくても自分で移動できるし、複数あるルートで自分の一番歩きやすい道や早く辿り着く道も見つけ出すみたいなイメージですね・・・(例えこんなんであってるかわからんけど。)
また、作ったものが自分が納得のいくクオリティでなくても自己研鑽していけば質は必ずあがります。
技術上達へのヒントといいますか、テーマや目標があるとより明確になるので、自分の好きなアニメやゲーム、イベント、音楽とかのファンメイドコンテンツをSNSとかで発信するの結構おすすめですよ。質はどうあれ評価してくれる人間いっぱいいるし、自己顕示欲みたされて、0から創作するより継続的なモチベがあがりやすいと思います。
そんで、これも大事だと思うんですけど、一本に絞るのではなく、できる範囲でちょっと手広くやった方がいいかなと。
僕みたいにやりたいことのいくつかが挫折しても、他のどれかで上手くいけばいいや〜ってなるし、中途半端でも知識がつけばこっちのもんです。
FF14で例えると、いっぱいジョブ解放してみたけどメイン以外は全部レベル低いみたいな感じ。でもプレイしてそれぞれのジョブの特徴捉えられるからとにかくメリットです。
また適性を探すために取り組むことが全く別々である必要もないです。
もし、eスポーツ業界が気になるなら、近場のお店のアルバイト募集を受けてみたり、フレンド同士で小規模なカスタム大会を考えて実行してみたり、OBSをインストールして配信活動を始めてみたり。
そうすると、知らない人に対して優位性が取れます。
優位性といってもよく聞く自分の知識をひけらかしてふんぞりかえるのではなくて、その知識を他人に頼られた時や自分のやりたいことが見つかった時にそれらの知識を存分に活かせるようにしましょう。
あとはメンターとして自分の後続に仲間を作っていくとさらに動きやすくなってきますよ。
ただぁし、自分の知識や常識は絶対に正しいわけではない(当たり前だよなぁ!)ので、周りの詳しい人や客観的な意見をもとに常にアップデートする意識でいましょうね、知らないくせに堂々としてるのはただのイタイ奴です。。。
自分が知っている知識への自信と新しい知識や他人の意見を聞いて受け入れることは正直バランスが難しく、どっちに傾きすぎてもよくありませんが、両方を常に意識しておけば、過剰に自信を失うこともないので安心です。
まあなんにせよ、僕の環境はおそらくかなり恵まれてるケースですし、時代も進んでるのであくまで僕の成り行きは参考までにしてもらえれば幸いです。
就職以降の話はまた近いうちに書きます。
ここまで長い文章書くの初めてで疲れた・・・。
最後まで読んでくれた人ありがとうございました。
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