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進学校でくすぶっていた俺を支えてくれたクラスメイトと味のしないドーナツ
埼玉県内の小さな駅の近くにあるドーナツ屋さん。
今はもう閉まってしまった古びたドーナツ屋さん。
人の往来も少ない駅ではあるが、部活帰りの高校生や、資格勉強に勤しんでいるOLでごったがえしていたのを思い出す。
俺の高校生活において、そこのドーナツ屋さんで過ごした時間、そこで食べた味のしないドーナツには、俺と、挫折と、暗い青春が詰まっている。
*
勉強をしても、スポーツをしても、何をしても中途半端な成績を修めていた中学時代。唯一兄の影響で早めに始めたモンハンのHR(ハンターランク)だけ群を抜いて高かった記憶がある。当時の俺は暇さえあればゲームをしているような、いわゆる普通の中学生だった。
ただ単に「友達が行っているから」という理由だけで塾に行きたいと親に駄々をこねた。両親は酷く呆れていたが、当時僕の成績が下から数えたほうがはやかったこともあり、親も俺の進路について考えあぐねていたのだろう。渋々僕が塾に行くことを了承してくれた。
僕はただ友達と話をしたかっただけだし、両親も僕の成績が上がるとは考えていなかったと思う。最初の英語の試験で英単語を書く位置を間違えて、0点をとったのが懐かしい。だらだらと塾に通っていただけだったが、勉強の神様は僕を助けるくらいには暇だったのか、塾に通い始めて僕の成績はみるみる向上。気づけば校内でトップの成績を取り、県内一番の進学校に合格した。
学校の先生と親は泣いて喜んでいた。
僕は元来人の喜ぶ顔が好きで、そんな顔を見たくて高校でも勉強に力を入れた。模試や学校のテストで高得点を取った日には、親や学校の先生が僕の成長を喜んでくれた。周りの人が喜んだり僕を褒めてくれたりするのが嬉しくて、勉強していたら、気づけば高校でもトップの成績をとるようになった。
進学校ということもあり、学校中の先生が私の東大進学を期待していた。たまにある先生との面談の中でも「お前は絶対に東大に合格しろよ」という圧を否が応でも感じざるを得なかった。というか念を押されていた。
僕もなんとなくこのまま努力を重ねていけば東大にはいけるのかな、と思っていた。
予備校主催の模試でも成績上位者として名前が載るほどには勉強に熱心になっていた。学校としても、「東大進学実績+1」は固いものとして話題に挙がっていただろう。
学校の進学実績、見栄のために成果を上げるのはやや癪であったが、それ以上に周りに認められるのが嬉しくて私は努力を重ねていた。
大学受験を見越した学校の動きは早く、1年の終了時には文理選択を迫られた。その進路選択を基にクラスが決められ、受験に向けて精緻に作りこまれたカリキュラムが文理で変わっていく。私は英語が好きだったのもあり、言語学を大学で専攻したいな、とぼんやり思いながら、何となく文系を選択したのを覚えている。
2年生になり、クラス替えがあった。私はそこで1人の女の子――後に私のどん底時代を支えてくれる女の子――に出会った。
彼女の名前はマキといい、常に明るく、周囲から好かれている明朗闊達な女の子だった。マキは人見知りしない性格で、誰とでも仲良くなれた。
たまに他人のプライバシーにずけずけと入っていくのが個人的に苦手だなと遠くからながめていたが、きっとそれが彼女の魅力で、皆から好かれる要因なのだと勝手に考察をしていた。
特段グループが一緒になることもなかったので、仲良くなることはなく2年生の日々は過ぎていく。
もう間もなく夏休みが始まろうかという夏真っ只中のある日。
「2年の夏休みが終わるまでに英単語を5000個覚えよう!」と息巻いていた僕は行き帰りの電車の時間を使って英単語の勉強をしていた。
単語帳を開くや否や、一人の女の子が急に声をかけてきた。マキだった。
「お!帰り道一緒なの!偶然じゃん!」
まさか彼女と帰り道が一緒だとは。
話してみると、どうやら僕が降りる駅の一つ先の駅が彼女の最寄り駅らしい。
普段は遠巻きから眺めている異世界の住人だったので、こんな形で自分の生活圏内には入ってくることにビックリした。
流石誰とでも仲良くなれる性格である。一緒に話しているととても楽しく、徐々に彼女に心を開くようになっていた。気づけば英単語帳を開くことなどどうでもよくなり、彼女と話す時間に夢中になっていた。
これまでお互いが気づいていないだけであったのか、帰る時間がバッタリ会うタイミングが意外に多いことに気づいた。帰りの駅のホームで見かけたときは、僕からも話しかけるようになった。
話しているうちに気づくこともあった。他人のプライバシーにずけずけと土足で踏み込んでいく無神経な性格かと思っていたが、彼女は意外と繊細で、複雑な事情を抱えているらしい。
近所のよしみ、ということで色々教えてくれたのだ。彼女の家庭は少し複雑な事情を抱えていること。両親はしょっちゅう喧嘩をしており、居心地が悪いこと。両親が喧嘩をした次の日は家に帰りたくないらしく、僕の自宅最寄り駅の一つ前の駅にあるドーナツ屋さんで遅くまで過ごしていること。
彼女と一緒に帰るたびに、彼女の身の上話を聞くたびに、彼女に対する知識が更新される。学校であんなに明るく振舞っている彼女がこんなにも難しい問題を抱えていることに驚き、またそれをおくびにも出さない彼女の強さを尊敬した。それと同時に、皆が知らないマキの一面を知れていることに少しばかり誇りを持っていた。
お互い部活動に所属していたので毎日一緒に帰ることはなかったものの、僕の学校には木曜日だけ「No部活デー」なるものがあり、生徒が勉強に集中できるようにと部活がない日があった。流石進学校である。
毎週木曜日はマキと一緒に帰るのが習慣になっていた。僕の勉強漬けの毎日の中で唯一リラックスできる時間だった。僕は毎週その日を楽しみにしていた。
高校2年生の時はあっという間に過ぎ、気づけば夏休みも終わり、校門近くの葉は赤や黄に色づいていた。
高校2年生の秋、文化祭の準備で忙しかった日の帰り道のこと。
その日は教室の内装について、マキが珍しくクラスメイトと大きな喧嘩をした日だった。
No部活デーだったこともあり、一緒に帰る予定であったものの、どのように声をかけたらよいかと逡巡している間に、マキのほうから帰ろう、と声をかけられた。スマートに元気づける一言もでてこない自分が情けない。
帰りの電車の中で、そんな不器用な僕は、無限に出てくるマキの不満をサンドバッグとして受け止める役に徹底するほかなかった。たまたま家族の不満に今回の文化祭問題がぶつかってしまったらしく、感情が爆発してしまったとのこと。
話しているうちにマキが涙目になっていたので、いくら鈍感な僕といえど頭の中でアラームが鳴り、これはまずいと思い咄嗟にマキが良くいくというドーナツ屋でゆっくりする、という提案をした。
模試の過去問を復習するよりも先に、目の前の親友を助けなければならない。
夕方。店内は学校帰りに勉強している女子高生の集団や仕事帰りのサラリーマンでごった返していた。
お店の端の席に腰掛ける。マキの沈んだ表情とは裏腹に、店内には陽気な洋楽が流れていた。
私はCMでよくやっている定番のドーナツを私とマキの二つ分注文し、マキの座っているテーブルに腰掛けた。マキは無言でドーナツを手に取りバクバクと食べ始める。美味しいものを食べたら落ち着いたのか、大きくため息をついて顔の表情がやや柔らかくなった。一方の僕はどう慰めようかと緊張してドーナツの味すらほとんど分からなかった。
学校のことや、受験のこと、プライベートのことなど色々と話したのだろうが、帰るころには何を話したかほとんど覚えていなかった。
店内の陽気な音楽だけが、帰った後もずっと脳内をぐるぐるしていた。
土日が過ぎ、月曜日にもなるとすっかりマキは元気になっていた。
心配しすぎて損をした、という気持ちとまた通常通りの生活が戻ってきたことに少し安堵した。
それからも、たまに一緒に帰って、とりとめのない話をして勉強のストレスを解消しつつ、志望校に向けてより熱を入れて勉強する日々が続いた。
あっという間に高校3年生になった。
クラスは分かれ、僕は国立大学進学クラス。マキは私立大学クラスになった。
これまで極めて順調だった僕の学業生活に陰りが見え始める。
大学3年生の春ごろから、全然成績が伸びなくなってしまった。むしろこれまでが良すぎたのだろうと楽観視していたものの、それにしても周囲が成績を伸ばすにつれて僕の成績は如実に下がっていった。
両親や学校の先生、周囲からの「東大へ行け」というプレッシャーの高まりに反比例するように下降していく成績に、焦燥感を覚えていた。
落ちていく模試の成績を両親に見られては怒られ、学校の面談では「お前ならもっとできる」という根拠のない励ましを受け、周りの友達にどんどん成績を抜かれる日々。自分の不甲斐なさに自信を無くし、ある日心がぽっきりと折れてしまった。
勉強に一切手がつかなかった。ペンを持っても筆が全然進まない。
身体全体で勉強することを拒む日々が続いた。
進路を決めるうえで重要な指標となる予備校の模試も体調が悪くて途中で抜けてしまった。なぜか予備校の模試の結果が学校の先生から返却される形式だったのだが、真っ白な解答用紙を見た先生が目をぎょっとさせたのを今でも覚えている。
悪いことをしていることは頭で理解しているからか、罪悪感に苛まれさらに勉強に手がつかないという悪循環に陥っていた。
受験まで気づけば残り半年。そりゃ勉強をしていないのだ。成績は一向に上がらない。もはや頑張る気力もわかず、成績が伸びないことに対する焦りすらなくなっていた。
もう冬に入ろうかという季節。ついには学校をちょくちょくさぼるようになってしまった。
その頃にはとうとう学校の先生も僕の異常を看過できなくなったのか、親と先生と僕での三者面談が開かれた。
「よくできる子でね。」それが先生の面談での口癖だった。その口癖が大嫌いであった。
どんなに僕が根を上げようとも、両親も、先生も、僕が志望校のレベルを下げることを許してくれない。
明らかに憔悴している様子が目に見えたのだろう、クラスメイトも徐々に私に話しかけなくなっていた。
校内でゾンビのようになっていた僕は、それからもしばしば学校を休み、時には3時間かけて江ノ島まで海を見に行くこともあった。冬の江ノ島は完全にオフシーズンで、人が少ないのもまたよかった。とにかく人から離れて一人になりたかったのだ。
ある日、学校をさぼって江ノ島に行った日のこと。海をボーっとながめ、このまま波に流されてもよいか、などと考えているときに、携帯電話のメールを受信する通知がなった。
「大丈夫?」
マキからだった。
マキは学校におり、これから部活とのこと。マキの部活が終わったら前話したドーナツ屋で話そうよと言われた。
マキは今の僕をどう見ているだろうか。学校をさぼっているのは知っているのだろうか。
どちらにしろ学校はさぼっているし、帰り道だし、まあいいかと、重い腰をあげて件のドーナツ屋に向かった。
夕方と呼ぶには少し遅い時間にドーナツ屋さんについた。勉強をしていた高校生や仕事帰りと思われるサラリーマンも、席を片付けて帰りの準備をしていた。
そこにポツンと座っているマキがいた。珍しく参考書を開いている。
目の前には二人分のドーナツ。
僕はどさりと席につく。マキは何も言わず、ドーナツを食べるよう促す。
正直食欲はなかったが、折角買ってくれたものだしと、ドーナツを口に運ぶ。味はしない。だが栄養をとったからか、不思議と元気が出てきた。
「この数学の問題教えてよ。」
おもむろにマキがペンで参考書のページを指す。僕はマキが勉強を一切しないことを知っていた。
マキがついに勉強に手を付け始めたのか、僕を元気づけるために教えを乞うてきたのか、今でもその真意は分からないままだったが、その日はマキにずっと勉強を教えた。
人と話すと元気がでるもので、帰るころには、少しは気分が晴れていた。
それからというものの、そのドーナツ屋さんはしばしば二人の集合場所となった。
僕が学校をさぼって学校帰りのマキと集合する日もあれば、私服でドーナツ屋さんに集合し、お互い学校をさぼっていたことが分かった日もあった。マキは友達、家族の愚痴をこぼし、僕は受験の愚痴をこぼす。たまにマキに勉強を教える日々。
ドーナツ屋さんで過ごすそんな時間は少しだけリフレッシュできてよかった。
とうとう受験の時期がやってきた。英語と世界史だけ好きでずるずると勉強した甲斐もあって、決して誇れた成績を残せたわけではないが、それなりの点数をとることができた。約半年さぼっていたのだ。東京大学には行けるはずはなく、都内の外国語を専門に学べる大学に進学した。
受験が終わった後は入学手続きやらなんやらでバタバタしてしまい、あまりマキと話すことができず卒業してしまった。
マキは都内の女子大に通うことになったみたいだが、大学に入ってからお互いあまり連絡しなくなってしまった。
今でも勉強や作業のたびに同系列店のドーナツ屋さんにはいって作業をしているが、そのたびにこの思い出がよみがえる。今おいしくドーナツを食べれているのは、高校生の時に無味のドーナツを噛みしめていたからである。味はしなかったが、あそこで食べるドーナツには、確かに青春の味がした。
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