言葉も通じない国で意識を失いかけた。ペットボトルの水は、もうない。
ある日、カメラロールを遡っていると、1枚の写真が目に留まった。
忘れたくない夏の思い出を切り取った1枚である。
海外旅行といえば、拙い英語で現地の人とやり取りをするイメージが強い。というか、個人の体験レベルで考えても、あながち間違いではないと思う。
「中央アジア行こうぜ!」
大学2年、そんな軽いノリで友達に連れられて行った中央アジアのキルギスでは、英語すら通じなかった。
正確には、英語が通じる人を探すのが至難の業だった。
「かしこい人が勤めているだろう」という完全な独断と偏見の基、病院マークがついている建物や旅行代理店などにずかずかと入り込み、分からないことを聞いていたのが懐かしい。
写真は、そのように色々な人に助けられ(迷惑をかけ)なんとか辿り着いた、アルティンアラシャンという秘湯へ続く道で撮った写真である。
アルティンアラシャンへは、写真のような道をひたすら歩く。
高尾山のハイキングくらい軽い気持ちで望んでしまった俺は当然のごとく激しく後悔した。
水も大してもってきてない。どれだけ歩いても先は見えず、いつ着くかも分からない。ようやくすれ違ったバッグパッカーと必死に情報交換しようにも、言葉が通じないのだ。
普段クーラーの効いた部屋でアイスを食べながらゲームをやっていた人間にはかなりこたえた。
ただ毎秒毎秒移り変わる絶景だけが何とか私の足を前に運んでいた。
片道2時間半くらいのトレッキングだったと記憶している。いよいよペットボトルの水も空になり、やばいやばいと焦っていたころ。急に視界が開ける。
あまりの絶景に思わず息を呑んだのを覚えている。
一面に広がる緑の大自然に、ゲルが点々としている。
その日は写真には写っていない民宿に泊まったが、民宿とゲルがいくつかあるだけで、あとはひたすら大自然が広がる。
民宿の近くから、馬に乗って1時間さらに移動。
今思えばドラマ「VIVANT」のような光景である。
馬の乗り方は「ゼルダの伝説 時のオカリナ」で心得ていたが、鞭で臀部をたたき、両足を脇腹に打ち付けると、本当に加速するのだ。(そのように現地の人に教わった。現地の人が頼んでもいないのに私が乗っている馬をたたいて勝手に加速するのはやめてほしかった。)
だだっ広い場所だけではなく、写真のような細い道を馬に乗って進む。崖から転げ落ちるか、そうでないか、完全に馬の体力と経験に委ねられており、生殺与奪の権を馬に握られていた。
エポナ・・・馬を降りた後も40度くらいある傾斜を登って、目的地アラコル湖に着いた。
トレッキングで片道2時間半、乗馬で1時間、更に急な傾斜を45分ほどと、身体的にはしんどかったが、だからこそこの景色の感動は忘れることなく頭にこびりついている。
大学2年の夏、友達に誘ってもらわなければ、俺はずっとスマフォゲームで1日を終えていただろう。誘ってくれた友達に感謝しかない。
最新のファッションやグルメに触れる旅行ではなく、どちらかというとスタンドバイミー色が強い旅行だったが、こういう旅行だからこそ強く記憶に残るのである。