【転職活動日記】少しでも良い明日を迎えられるように。
「正しい選択をするのではなく、選択を正しくするように生きる」
この言葉は昨今いたるところで耳にする。この記事を読んでいる皆様も一度は聞いたことがあるだろう。非常に素敵なこの言葉は多くの「誤った選択をしたかもしれない」人を励ましてきただろう。
この言葉の真偽をここで詳細に論じるつもりはない。というか正解はないと考えている。私としては、この言葉には賛同するところもありつつ、ただ手放しに賛同することは危険である、と考えている。
こんな考え方をしてしまうようになったのは、自分の転職活動の経験に端を発する。
これは、1年半前の出来事である。
*
「会社、辞めようと思ってます。」
面を食らった表情で固まる上長。固まっているのはその会話が真冬の、暖房が消えた休憩室で話しているからという訳ではない。
数秒の沈黙の後、上長が口を開く。
「あんなに仕事に前向きだったのに・・・」
かろうじて絞り出した上長の言葉からは、まさか私の口から「辞める」という言葉が出てくるとは思っていなかったであろうことが容易に読み取れた。
12月中旬。ボーナスが支給されてすぐくらいの時期に、評価面談があった。ボーナスは評価に基づいてその額に変動があるため、評価面談の時期にはすでに評価は決まっていて自分でどうにかできるものでもない。評価面談とボーナス支給、その順番は逆な気がするが順序が違うことなど社会に出てからやまほどあった。
ボーナスをもらう前に辞めることを伝えると絶対にボーナスが減額されるのは目に見えていたので、ボーナスをしっかりもらってから辞める宣言をした。評価は同期の中でもかなり良かった。
「やめたい理由、聞かせてもらっても良い?」
もちろん「辞めます」「はい分かりました退職の手続きに移行しましょう」と簡単に行くわけにはいかないことは分かっていた。後任への引継ぎもある。辞めるにもしっかりと話をつけなければならない。
やめる決断をするまでに色々と考えた。その一つ一つを説明すると日が暮れてしまうなあと考えながら、何から話そうか考えた。
*
私は新卒でこの会社に入った。IT系の会社であるものの幅広く事業を手掛けており、とにかく職種の種類が多く、何でもできることを学生への訴求ポイントとして謳っていた。
沢山ある仕事の中でも、私は海外営業がやりたかった。大学で語学を専門的に学んでいたこともあり、学んだ言語を活かす、ということを一つの軸として就職活動をしており、紆余曲折を経て海外にも展開しているこの会社を選んだ。
この会社は最初の現場での下積みが大変とされる。シフト制の勤務でもあるし、転勤も発生しやすい会社だ。ただそれ以上に海外での活躍チャンス、それに伴う社会的意義に挑戦心をくすぐられた。採用担当にも3~4年現場で経験を積めば海外ではたらくチャンスがあるよ!と言われ、それを鵜呑みにしてしまった部分もある。
まだ社会を知らなかった僕の、最初の「誤った選択」である。
「中途の人が9割で、新卒の人はほとんどいないっすね。いたとしても現地で採用した人間がほとんどっす」
入社して間もなく3年目を迎えよう研修で、その言葉を聞き私は絶望した。
その研修は、実際に自分が将来やりたいことを今まさにしている現場社員に話を聞ける研修であった。
詳しく話を聞くと、会社として規模が大きくなってきている今、売上・利益をしっかりと出さなければならない。現場では悠長に教育をしている時間はないので、スキルを持った即戦力が求められる。そう考えた時に新卒で現場たたき上げの社員が身に着けた現場でのスキルは通用しないので、他の会社でバリバリ経験を積んだキャリア採用の人間に9.9割その仕事を任せている、とのことだ。
採用担当が「君ならできるよ!」と断言してくれた海外営業の仕事は、自分が就活のときに「就活軸」として定めていた海外で働くという崇高な願いは、現場社員の一声でいとも簡単に潰えた。
確かに転職サイトの掲示板には、「自分のやりたい仕事は基本的にはさせてもらえないと思ったほうが良い」と書いてあった。
そんなことが書いてあったものの、当時の私は「やりたい仕事ができる」少数派の人間であると勝手に思っていた。
海外に留学もしているし、それなりの大学も出ている。
やりたい仕事をするために必要なそれなりの資格も取った。
自分は優秀な人間だと勝手に思っていた。
これまで何度もこの会社を辞めてやろうと思ったことはあった。
それでも耐えて続けてきたのは、ひとえに自分には明るい未来が待っているだろうと信じて疑わなかったからである。
自分の頑張ってきたことは全て水の泡となった。無力感に打ちのめされた僕は、その研修を終えた後に転職を決意した。
これまで何度も会社を辞めたいと思っていたのに辞められなかった理由はほかにもある。
安定を捨てる怖さがあった。
環境を変える恐ろしさが、ともすれば転職活動に失敗して一文無しになるリスクが、私を一歩進むことをためらわさせていた。
そこで僕は一番の決断をすることになる。
そして、それは僕の二度目の「誤った選択」となる。
仕事をやめてから転職活動をする。
転職活動のセオリーは仕事をつづけながらこそこそと転職活動をし、転職先が決まるとともに現職にやめることを告げる、というものだろう。
退路を断たないと前に進めないと思った私は、仕事を辞めることを伝えてから転職活動をしようと決意した。
評価面談で上司にやめることを伝えた時、「次の仕事は決まっているのか」と聞かれた。決まっていないと伝えると馬鹿にされると思ったので、「決まっています」と嘘をついた。
これまで何度も会社を辞めたいと思っていたのに辞められなかった理由はもう一個ある。
私のプライドが邪魔をした。
私が今の会社にいることは、大学同期の多くが知っていた。
大学の同期は皆優秀な会社に就職しており、良い給料をもらいながら順調にキャリアを伸ばしていっている。
私が転職をすることで、馬鹿にされてしまうかもしれない。「3年も経たずに辞めるなんて」と嘲笑されるかもしれない。
「海外営業をやるんだ」なんて居酒屋で大きな夢を語りあった友人に顔も向けられない。そんなプライドが周囲に相談することを許さなかった。
三度目の誤った選択である。
*
「そうか、君がいなくなるのは残念だけど、次の会社でも頑張ってほしい」
そんな心無い応援を受け取りながらも、帰り道は不思議と穏やかな気持ちだったのを覚えている。退職まで残り1か月半の時期だった。
そうして、多くの「誤った選択」を抱えながら、誰にも言えない私の「転職活動」は幕を開けた。
まず転職エージェントにいくつか登録し、エージェントとの面談が行われた。現職で不満に思っていること、転職を経て絶対に叶えたいこと、希望条件などを一通り洗い出した。
エージェントの人と話して痛感したが、思えば新卒で就活したときは何をしたいか、自分が何の武器を持っているか、という点からしか企業選びを考えられていなかったな、と思った。
エージェントのアドバイス通り、本当は自分が何をしたかったのかもう一度自分の「やりたいこと」を考えることにした。
自分はどんな学生生活を送ってきたか。過去どんなことにやりがいや喜びを感じていただろうか。大切にしている価値観は。過去の記憶にダイブするように、過去の経験を洗い出し、思い浮かぶワードを紙に書き留める。
紙に書きだしているうちに、とある共通項が見つかった。それは「人の居場所を作ること」。
自分は学生生活を通じて「人の居場所を作ること」にやりがいを感じていたかもしれない。
例えば、中学校に一人はいた、家庭の事情など本人が与り知らぬ原因で仲間外れにされてしまう子。自分の不可抗力によって運命が勝手に決められ、勝手に集団の輪の外に追い出されてしまう子。
そんな子を集団の輪に迎え入れ、一緒に学校生活を楽しむ。そんなことにやりがいを感じていた。
中学校でいじめられていたSさん。理由は単に家が貧乏だから。
生徒会やクラスの班長などを任されることが多かった私は、ある時期Sさんと一緒の班になった。
同じ班には仲の良いY君もいたため、私とY君はある作戦を立てた。それはいじめられているSさんをあえて「いじる」ということ。
もちろん標的はSさんだけでなく、Y君、同じ班にいた、初めはSさんにマイナスの感情を抱いていたNさん、もちろん自分もその一人だ。
じゃんけんに負けた人が給食の食器を全て片付ける、じゃんけんで負けた人が休み時間に外で栽培しているトマトに水をやりにいく。班の中で誰かが失敗したら明るく「いじる」。そんな形で皆均等にいじることで平等感を出す。Sさんも積極的に「いじる」側に参戦させる。(ある日Sさんがじゃんけんに負けて給食の皿を片付ける番になったとき、先生がそれを目撃して「いじめ」と誤認し、こっぴどく叱られたのは納得がいっていない)かなり危ない選択肢であった気がするが、卒業式の時に、Sさんに「一緒の班になれて楽しかった、ありがとう」と言われたことは今でも覚えている。
それからというものの、僕は常にそのようなグループの外側に少し外れてしまった人を内側に入れ込むことを意識的にやっていたかもしれない。人はそれぞれ長所・短所があり、その人が最も輝ける場所で長所を発揮してもらうこと。それは現職でも常に意識していたことだ。
「人」に関わることを仕事にしよう。視界が一気に開けた感じがした。
現職では営業に近い仕事もしていたため、営業のみならず自社採用など色々な選択肢をエージェントから提示されていた。
僕は「採用」の仕事を中心にエージェントに応募依頼を出すことにした。
いざやりたいことが決まったら次は実際に求人に応募する。
これが中々上手くいかなかった。
福利厚生や転勤など様々な条件を鑑みて応募を出すものの、「採用」自体の経験はないため、なかなか未経験での転職活動は上手くいかないことが多かった。
そもそも書類が通過しない。折角書類が通過しても、次の面接で落ちてしまう。
あれ、新卒は楽勝だったのにな。面接で落ちることなんてなかったのに。
徐々に焦りが強くなってくる。焦りがさらに転職活動に悪影響を及ぼしていた。
退職日は徐々に迫ってくる。そこから1か月ほどは有給が取れるのでまだ完全に収入が0になることはないものの、こんなに上手くいかないとは思わなかった。
多少自分に自信があったのも原因だろう。学生時代もそれなりに経験を積んでいたし、現職の企業でも高い評価をもらっていたこともあって、もっと簡単に転職が決まるものだと思っていた。
書類を出しては落ちる日々。見かねたエージェントにも「確かに今の会社では評価をもらえているものの、業界や職種を変えるということはこれまでの評価はほぼなかったものだと考えてよいです」と言われてしまった。
「お見送り」、「ご縁がなかった」、「残念ながら」、「益々の発展」。マイナスの言葉を見るたびに、心が沈んでいく。
辛かった。これまで私の中にあった自信が粉々に砕かれる感覚。
それでも金を稼ぐために、食べる道を探すために、転職活動を止めることはできないという苦痛。
「転職活動は仕事をつづけながら行いましょう!」という転職サイト内の記事にでかでかと書かれたものをあざ笑っていた過去の自分をぶん殴りたくなる。
ある日仕事から帰るとラインが入っていた。大学時代の友達からだ。
「久しぶり!今度長期休みが取れるようになったんだけど、会わない?」
自分の事情も知らないで何をのんきに、といえば周囲に相談していない自分が悪いので当たり前なのだが、今仕事を失いかけている状況、面接などでぼこぼこに打ちのめされている状況を鑑みて、とても友達に合わせる顔がないと感じた。きっと友達と仕事の話になったら自分のプライドがへし折れる。
「ごめん!仕事が忙しくて」
嘘である。ただ今の状況を友達に教えることはやっぱりできなかった。
書類が通過しない日々、面接に落ちる日々はどんどん過ぎていく。
そんななか、ある1社の面接に参加することとなる。
季節は1月中旬。正月ムードもすっかりなくなり社会の歯車がゆっくりと元に戻りだした時期。とある会社の面接に臨んだ。
自社採用部門。海外にも展開している大きな会社なので、あわよくば自分が学んでいた言語を活かす機会もある、とのこと。
エージェントからも「ここに受かったらかなり良いですよ!」と応援され、気合を入れていた。
仕事終わりに面接を受ける予定だったので、職場に自分用のPCとリモート面接用のスーツ(上着だけ)をもっていき、わざわざ近くのネットカフェを借りてそこで面接を受けるという気合の入りぶり。
面接は定刻通りに開始した。現職での仕事内容、転職理由、会社の志望理由、将来やりたいこと。過去と未来を結ぶように、面接官は僕の価値観を洗い出し、自社とマッチングしているか判断していく。面接官の反応も良く、テンポよく会話が進んでいく。
――これは受かったんじゃないか。
面接終了予定時刻まで残り5分。後は余程変なことを言わなければ合格だろう、そう確信を持っていた時、面接官が口を開く。
「あなたは本当は何がやりたいの」
一瞬面を食らった。こんな質問をされたことがなかったからだ。噓がばれた?いやそもそも自分の話していることに偽りはない。その真意を探るのに時間を有した。面接官は答える間もなく続ける。
「確かに質問に対してはっきりと回答もらえるし、コミュニケーション能力もある。経歴書からしっかりと努力をしたことも分かる。ただ本当は何がやりたいの?」
採用の仕事がしたいという気持ちに嘘はなかったはずだ。
「あなたは現職でとてもよくやっている。目標までのプロセスもしっかり管理して、継続的な努力からあなたが本当に海外営業をやりたかったことが伝わってきた。本当はやりたかったことがあるのに、その気持ちに嘘をついて採用の仕事をして、後悔はないの?このままだと落とすと思うから、正直に教えてほしい。」
図星だった。本当は海外営業がやりたかったこと。現職の会社にどれだけの熱意をもって入ったかということ。現職の会社で周囲に認められるためにどれだけ努力をしてきたか、ということ。色々な思いがこみ上げる。
念入りに準備してきた志望理由も、面接の回数をこなすうちにこなれてきた転職理由も、全て無意味だった。
そこからは上手く話せた自信はないが、自分のことを包み隠さず正直に全て話した。
新卒で今の会社に入ったときに掲げていた夢。それが叶えられないと分かった経緯。本当の転職理由。
「もしかしたら自分のやりたいことはできないんじゃないか」という気持ちに嘘をついて入社を決めたこと。仕事を辞めて退路を断ってから転職活動をしたこと。誰にも今の状況を相談していないこと。
本当の自分を話せば話すほど、これらの「誤った選択」をしてしまったことへの後悔と、今のどうにもならない現状がより一層現実感をもって自分を押しつぶす。とんでもないことをしてしまっている、と認めた瞬間、涙がとまらなかった。どうせもう落ちるんだ。正直に話してしまえと、まるで罪を自白するかのように、己の愚かさを述べた。
面接の最後の逆質問。どうせこの企業の面接は通らないと分かった。というか直接言われたので、最後に感謝の言葉を並べた。最後に面接官は静かに口を開いた。
「あなたは努力家だ。今の状況を恥じる必要はない。まだ人生は長いから、採用の仕事をするにしても改めて海外営業を志すにしても、これからなりたい自分になるために、毎日努力を重ねたら良い。あなたのキャリアはまだまだ始まったばかりだから、焦る必要はないよ。」
面接は終了した。
漫画喫茶の一部屋で声を押し殺して泣いていたが、周りに気づかれていなかっただろうか。精算のときに店員と目が合う。私の頬には涙が通った軌跡があった。よほど感動する何かを観たのだと勘違いしてくれていたらいいのだが。
面接帰りの駅のホーム。キャリアアドバイザーから電話がかかってきた。
「面接どうでしたか!?」
何て報告すればよいのか。不合格って言われました。泣きました。泣かされました。失敗でした。
色々言葉を選び、こう伝えた。
「学ぶことが多かった面接でした。」
結果は上手くはいかなかったが、大切なことに気づかされた面接だった。
その後は、海外営業ができる会社か、採用ができる会社かなど総合的に判断して企業の応募を進めた。
これまでの「誤った選択」を謙虚に受け止め面接に臨んだ。
転職活動では「次の会社」と目先のことしか見れていなかったと反省し、長期的なキャリアプランを考えそれが実現できる会社を探していく。
最終的に、給料はやや下がるものの、同じITの自社採用部門に合格となり、そこに行くことを決意した。
*
今の会社に入って1年が経過した。1年経って振り返ってみて、この転職は成功だったのだろうか、とふと考える。
間違いないのは、今は楽しく仕事をしているし、このままHRの領域で順調にキャリアを積みたいと思っているということだ。
きっと選択の正しい、誤りは時とタイミングによって変わりうるものなので論じることは難しく、自らの選択を正解にするために固執しすぎることもかえって自分の視野を狭めてしまう恐れがあると今は考えている。
そのような考えに固執するよりは、日々がむしゃらに生き、試行錯誤する中で、なりたい自分になるために、常に少しでも良い明日を迎えられるように、チャンスを伺いながらも、地道に柔軟に一歩一歩進んでいくしかないと感じる。