気の合わない師
学生時代、僕はとあるギタリストに師事していた。
先生はあまり作曲の方はやらないらしく、確かな演奏力と柔軟なアドリブ力で音楽業界を渡り歩く人だった。
職人的な気難しいムードは一切なく、むしろ一言で言ってしまえばだらしない人だった。
奥さんに内緒で女を連れ込んだり、女の弟子に手を出したりと下半身が奔放だった。
「英雄色を好む」とは彼自身の弁。とにかく型にはまらない人だった。
僕は遊びまわるタイプではないから性格は本当に合わなかった。
先生自身も「俺ら本当に気が合わないよね」と明言するくらいだった。
それでも不思議と腹の底から嫌いには慣れなかった。
ギターも音楽もからっきしの僕相手にも分かりやすく教えてくれたから、恩義を感じていたのかもしれない。
でもやはり気が合わなかった。
彼はギターの演奏がメイン。演奏力で音楽業界を歩きたい人だ。
僕は作曲がメイン。ギターは作曲のためのツールだと割り切っている。
じゃあ最初からギターの先生に師事しないで作曲家につけよ、と思うだろう。
でも僕は「演奏力と作曲力は比例する」と信じている。
演奏を集約すると曲になる、とも言うかな。
幾パターンの演奏の中から一つ切り取ってそれを理論や発想で構成すると曲ができる。
僕の作曲プロセスにおいて「演奏」はやはり切っても切れないな、と感じていた。
だからギターを習って不自由なく演奏できるようになることはマストだった。
頭ではわかっていた。演奏力を磨くことがどれだけ自分にとって必要か。
それでも僕は「曲を書きたい」「曲を書くための理論をもっと勉強したい」という熱が抑えられなかった。
結局2年ほどで師弟関係を解消してしまった。
喧嘩などもなく、形式的で円満な別れだった。そしてそれ以降、一度も顔を合わせることはなかった。
気が合わなかった僕らをつなぐものは「師弟」という肩書だけだった。
あれから二十年近く経った。
僕は今更だが、音楽理論を深めるためにブルーズやジャズギターの勉強を再開した。
ちぐはぐな音を紡いでふと思い出すのは、気の合わない先生の最高にクールなプレイ。
力強いロックなのにジャズのようにお洒落で、時にブルーズのように気怠い先生のギターサウンド。
もう二度と見ることのない彼のプレイを記憶の中から掘り起こして
二十年経った今でもお手本として彼の音を聴いている。