反省文:無意味な「なんで」を言ってしまっていたことを反省します。
仕方がない。他人に求めても仕方がないと最近思えるように少しずつなってきた。
ひとつの会社で勤め上げる人、たとえ様々な部署に異動があっても、同一企業であれば同じ思想的プラットフォームの中にいるため、やはり言葉や思考がハイコンテクストになってしまう。これは避けられない。
ハイコンテクストである事実を知っていても、どこまでハイコンテクストなのかを理解するのは非常に難しい。なぜなら、今いるプラットフォームの外側に出る技術を知らないからだ。ちなみにこれを書いている吾輩も外側にでる技術はよくわかっていない。
たとえば、今わかっていることを書き出すとか、わかっていないと認知していることを書き出すのは、今いるプラットフォームの外側に出るのに役立つかもしれない。また、相手の気持ちや言動の方向性で自分なりに感じていることを書き出してみることも役立つかもしれない。
それでも間違うことがある。間違うことが誰かの利益を損なうことにつながることが多いのだけれど、こればっかりは仕方がないと思う。吾輩含め全てのホモ・サピエンスは完璧に他人や自分の願望を含めて求めている結果を満たすことができないからだ。簡潔に述べるなら不完全なのだ。
間違いは責められて当然と信仰されている。が、果たしてそうなのだろうか? 間違いにもいろいろ種類があるかもしれない。仕組み上、認知が誤ってしまう可能性が高いのなら、本人と仕組みの失敗コラボレーションだ。
「なんで?」と尋ねるのはかんたんだけれど、果たして相手にどうなって欲しいかを考えて「なんで?」と言っているのかは不明だ。言われた方が萎縮しているのならおそらく伝わっていない可能性が高い。では、なぜ萎縮するのだろう? 伝わっていないのはどうしてなのだろう?
自分が管理者をやっていた時、あらかじめフィードバックの準備を行ってから指導していた。ただ、突発的な時にはついついかんたんに「なんで?」を言っていたと思う。これは反省している。
相手にどうなって欲しい? を考えるには、相手の状況を知らねばならない。もしここで「えっ? なんで?」と思っちゃうよね? 仕事だったらなおさら。そう思うのなら仕事を失敗した人で、自分と異なる理解をしていた人や理解不足の人を解雇するのが一番手っ取り早い。日本の会社では解雇は難しいけれど。
解雇ができないのなら、手間かけるしかないんですよね。うーん、そんな意味では全社員の360度フィードバックは有りかもと今書いてて思った。
一旦そこは置いておいて、なにゆえに相手の状況(業務知識や過去の経験、性格傾向)を知るべきか、少なくとも自分の感想を把握しておくべきかなのだけれど、現在地がどこかわからないと、どの道を辿ればゴールに辿り着けるかわからなくない?っていう話。
邪魔くさいよね。確かに、しかしそれで相手が少しでも事業に貢献する可能性が上がるのであれば、やる価値あると思った。実際にそれを実践している友人の話を聞いてもそう思う。
自分がわかっていることと相手がわかっていることのギャップにあたりをつけて、お互いに対話をしていくことって難しい。あたりをつけて話したところ、想定していたよりもギャップが激しくて、相手が何を言っているのかわからないなんてことも沢山ある。手を動かしながら、多少理解できることもあるけれど、だいたいはなんとなくでなんとかなっている。
相手と自分がわかっていることや行動の方向性のギャップに苦しんでいる人も沢山いると思う。ギャップに苦しんでいる時は、ついつい相手の非をあげてしまうけれど、いったん相手の非を書き出してから、次に相手の状況で自分が把握していることを書き出してみるのはどうだろう。ついでに自分が何を嫌だと思ったのか、腹が立ったのかも書き出してみるのはどうだろう?
手が部下であれ上司であればお客さんであれ、相手が変わることを期待するのは時間の無駄なので、自分がアプローチを変える方が手っ取り早い。アプローチを変えても、あまりに疲れるようなら、別の仕事に変わるとか、手に職をつけるとかもあり。そこは自分の人生の物語だから、自分で選ぶしかないけれどね。
上司の場合は相手にどうなって欲しいかを考えて、対話する。部下の場合は上司が何をすると楽に回答できるのかを考えて対話する。これが大事なんかもと思う。
アプローチを変える。伝える内容を変える。伝え方を変える。伝える順序を変える。これはこれで資格はないけれど、自分のスキルを磨くことになるのではないかと思うので、時間調整をうまくつけて(テキトーにあきらめて)少しずつ進めてみようと思う。これまでよりもより具体的に。