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大人が水鉄砲を打ち合うと悟りがひらけるかもしれない


暑い暑い夏である。いずれ夏は終わり、小さく秋がきて寒い冬がやってくる。
真昼間の暑い中、外を歩いていると夏がいずれ終わるなんて、とてもじゃないけれど信じることができない。
しかし、今年の夏はいずれ終わる。
終わるはず。
 
そんな夏の暑い中、大人どうして水鉄砲で遊ぶイベントにいってきた。
今年で3度目の参加だった。(毎回顔ぶれはけっこう変わる)

去年買った水鉄砲を持参し、今年はランニングシューズを履いて、機動力を確保した。去年はサンダルで最後にサンダルがぶっ壊れてしまったからだ。
 
水鉄砲は年々進化していて、放水持続時間が長い、空気圧縮型の水鉄砲はマジで強かった気がする。
基本ルールとして、金魚すくいのホイを肩や頭につけて、そのホイが水鉄砲にてやぶれたら、ゲームオーバー。
それに加えて、色々ルールをその都度考えて今年は遊んだのだけれど、今年一番満足したのは「メディック」ルール。
ホイが破れても衛生兵役の人が、ゲームオーバーになった人にホイを渡せば復活するというもの。ハリウッドの戦争映画ばりに「メーディーッック」とたくさん叫べて、ぼくは大変満足した。
 
だいたい15人以上集まったのだけれど、20代〜40代が、お互いに尊敬をもちつつ遊ぶことができた。世代間ギャップをまさしく「水鉄砲」が埋めたのだろう。
 
今年の夏、ぼくは「物語」という考えにはまっている。ちょっと前までは「望んでいる結果」と呼んでいたのだけれど、目的思考デザインを学んだり、『サピエンス全史』を読むことで、ぼくらは自分が望んでいる「物語」を持っているのだろうと考えた。今では、自分望んでいる物語にそったことが起こると、楽しかったりうれしかったりするのだろうと、今では考えている。

物語がかけ離れていたり、物語にそわないと感じる人とのかかわりは、けっこう困難を極めるのではないだろうか? と最近よく考える。
物語がかけ離れている要因として考えられるのは、年齢差やものごとの捉え方、含め正直たんなる好き嫌いなのではないだろうか?
 
ぼくらは自分の物語に近いことに共感を覚えやすいし、自分の物語から遠いものごとにかんしては無関心だったりする。自分の物語とは相反するものは嫌いになる。
 
仕事だって、各職場や部署には望んでいる物語があって、それに反する人は年齢関係なく能力関係なく干される。よっぽどその人が必要でない限り干される。望んでいる物語を実現することが目標なんだから、その目標に近く気持ちがない人が用いられないのは仕方がない。
建前の物語と本音の物語にギャップがありすぎると辛いけど。そんなところなら転職するのもありかもしれないし、そのギャップをどう埋めるかチャレンジするのもありだし、それはその環境にいるその人が望んでいる物語で決めればいいと思うけど。
 
恋人が欲しくないという人がたまにいるけれど、それは単に周りに自分が望んでいる物語に合致した人がいないだけなんじゃないだろうか?
 
ぼくらはそれぞれの物語の主人公であり、周囲の人は物語の登場人物と考える。そこで止まってしまうと、自分しか世界に存在しないようになってしまう。自分が好きなこと=正しい、嫌いなこと=間違いと考える傾向が強い人は、たぶん自分の物語だけが世界に存在していて、他人には物語がないと考えているのだろう。
 
自分の物語の外にでるっていうのはなかなか難しい。
かく言うぼくも、まだまだ自分の物語の外にうまく出られているわけではないと思う。
だって自分の物語の外にでるのは怖いから。その恐怖を乗り越える勇気が必要だからだろう。
 
もしかしたら、自分の物語の外にでるには、目的やゴールが必要なのかもしれない。
たとえば、冒頭の「水鉄砲であそぶ」という目的がなかったら、20代〜40代が水鉄砲もって遊ぶことなんてそうそうない。
たとえ「水鉄砲であそぶ」という目的を理解していたとしても、見知らぬ参加者のみなさんと仲良くできるか不安になる。正直ぼくはちょっと不安だった。
見も知らぬ40代の人に気軽に話しかけ、お友達にかんたんになるという物語をもっている20代なんてそうそういないだろう。40代だって、見も知らぬ20代に気軽に話しかける物語なんてそうそう持っていない。
 
なんらかの目的やゴールを、自分の物語に取り込もうとすると、時に自分の物語の外にちょっとでることになるんじゃないだろうか? 目的地が自分の家の外にあるなら、自分の家から外出しないと目的地に近づくことができないのと同じで、目的やゴールが自分の物語の外にあるなら、自分の物語の外に出なくちゃいけないんだと思う。
 
ジャングルに入るわけでも秘境を旅するわけでもないけれど、自分の物語の外に出るってのは冒険なのかもしれない。
どこに行きたいかは自分で決めるしかないけれど。
 
 
 

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