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ミニベロには乗りたくないことだけはわかっている。

先日の休日は自転車を求め街を彷徨い続けていた。まるで帰る場所を失ったかのように、ぼくは歩いて歩いて歩いていた。そしてその労力は徒労に終わった。

ぼくは自転車を舐めていた。どれくらい舐めていたかというと、カゴがついていて、オートライトならいいやと思っていた。つまり乗れるものならそれで良いと思っていたのだ。しかし、どうだろう・・・いざ探し始めるとどんどん「自転車沼」の深みにはまっていった。「ああ、これなんか違うな・・・」「いや〜これはなんだかみんな乗っている(近所で駐輪されているのを見かける)ので嫌だ・・・」「う〜んこれは、ちょっとタイヤが細いし、なんだかヘロヘロな感じがするな」などなどと考えてしまう。あまりにこだわり過ぎて、最早自分が自転車に何を求めているのかもわからなくなってしまった。そもそも自転車いる? 乗る? という考えも出てくるのだが、ぼくは図書館に行く人なので、それも大きな図書館を心から求めるタイプなので、現住所から大きな図書館に行くには自転車があった方が良い。

うーん困った。この「あった方が良い」という感覚は言い換えると「別になくてもなんとかなる」になる。中途半端この上ない。それくらい便利なところに住んでいるということでもあるのだけれど。

「あった方が良い」つまり「別になくてもなんとかなる」ということは、大抵厄介だとぼくは思う。「必要」とい明確にわかっていれば、あとは「行動」するだけで良い。けれどどっちつかずのことって「いや〜後回しでも良いよね」となる。これは仕事でも同じで、あれば良いけれど、別になくてもなんとかなっていると、それはずーっと後回しにされてしまい、結局そのままになってしまう。当然内容にもよるけれど、「別になくてもなんとかなる」ことの多くは従業員に負担を強いているだけで、結果的に仕事の足を引っ張っていることが多い。なるべく仕事では「別になくてもなんとかなる」は減らす方が仕事のスピードは上がるし、仕事の精度も向上する。ということは、実生活にだってこの原則は当てはまるわけで「あった方が良い」ものはあった方が良いのだ。

自転車購入に悩む理由はこの中途半端な気持ちだけでなく、何よりも自転車に乗ること自体がめちゃくちゃ久しぶりということもある。多分軽く10年以上自転車に乗っていない。いや、たまに乗ることはあったが、それも年に1回あるかないかのレベル。いつの間にかぼくは自転車と疎遠になっているのだ。ぼくの懸念は、自転車を公道でどう走らせれば良いのか? ということなのだ。歩道を走るのは原則禁止だし、かといって車道では速度の遅い自転車は危ないし・・・。道路交通法、ムツカシイよ。

そんな中途半端な気持ちと道路交通法への悩みと格闘しつつ、ぼくは当初考えていたママチャリ(現在はシティサイクルと呼ぶらしい)からスポーティなママチャリ(クロスバイクに前かごをつけたもの)へ気持ちが移り、そして今は本格的なクロスバイクへ興味が移ってしまった。「いる?」「いらない」「やっぱり欲しい?」という気持ちとともに、欲しい自転車の種類もアレヤコレヤと彷徨い続けているのである。ちなみにミニベロは乗りたくない。ミニベロに乗ると「ヒャッハーっ」って叫んでしまいそうだから。

ちなみにヘッダー画像は昨日行ったTRANSNATIONAL ART 2018にて。大阪府立江之子島文化芸術創造センターで2月4日(日)までやっています。


ヘッダー画像『Green wind』 作:南面 由子 2017年 (TRANSNATIONAL ART 2018 より)



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