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「怖い」ってなんだ?

ぼくが到着した時、4人がかかりでゴザを地面に敷いていた。まだ始まっていなかったのか? と思ったけれど、すでに1局終わって麻雀卓を移動し、新たに設置しようとしていたのだった。

今年の5月は暑い。その日曇ってはいたけれど、やっぱり日差しが照ると汗をかいてしまう。途中、まったりしたりキャッチボールしたりなどはあったけれど、12時過ぎから20時過ぎまで、ぼくらは公園の一角を我が物顔で占拠し麻雀にいそしんだ。

ぼくはあまりに久しぶりの麻雀であったため、そもそも麻雀を片手で足りる回数しかやってこなかったぼくには、頭に2つ同じ牌がいることくらいしか覚えていなかった。だから、ひたすらリーチをかけてロンかツモで上がることに専念した。何がドラなのかすらわからない状態だった。全くもって実力不足であり、知識不足であったけれども、ぼくは今できることはなんだろうって、とにかくやってみた。まあ、それしかできなかったわけであるけれども。

今できることってなんだろう?
特に自分が思い描いたイメージどおりに事が運ばない時、この言葉はものすごく大事な指針になる。気持ちが腐っていると何もしたくなくなるし、誰かが悪いとしてもその誰かがやれば良いと放置しちゃう。放置された問題は解決しないから、結局自分にも周囲にも良い結果は出ない。
だからこそ「今できることはなんだろう?」なのだ。

「今できること」を考えた時、自分がなにを怖がっているのか考えなくちゃいけないことがある。誰かに責任を押しつけたり、自分の可能性を自分から閉ざすのは、自分の「怖い」から逃げるためであることがほとんどだから。「怖い」にはいくつか種類が合ると思っていて、例えば「わからないから怖い」「失敗すると自分が否定されてしまうと感じるから怖い」「やり方を変えると自分を否定することになるから怖い」とか。

この「怖い」とどう付き合うかで、人生大きく変わるんじゃないかな? って思っている。だって「怖い」との関係をどうするかって、ぼくらの世界観や知覚範囲、思考の柔軟性の基礎みたいなもんだから。なにがどう怖いかによって脳の機能性が大きく違ってくる。失敗を許される環境なら、挑戦しやすいし失敗を糧にして成功に導く可能性が高まるのは、脳がよく機能するから。失敗が禁止されると怖いが充満してしまう。怖いが充満した環境では、人は失敗を怖がり安全だと思うことしかしなくなる。怖いが充満する環境や心境では、その人の「勇気」が試される。勇気をもって自分の「怖い」と向き合って、その関係を調整すると、視野が広がったり、別の視点でものごとを考える事ができるようになる。

「怖い」と向き合うことを続けると、どんどん「今できることは何か?」を考える事ができるようになる。するとどうなるだろう? どんどん人は賢くなり、発見がいたるところにあることがわかり、楽しいが増えて行く。

せっかく生きているのだから、楽しいが多いほうがいいと思う。ということで、麻雀のアプリをスマホに入れて、毎日やっています。



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