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休日ってなんだろう?

 休日に職場の近くに行きたくないのは、きっと仕事が近寄ってきてせっかくの休日を奪い去っていく気がするからなんだろう。だからいつもと違う土地や空気に触れるとリフレッシュするのは、そういった仕事の有形無形のプレッシャーから遠ざかるからなんだと思う。

「とりあえずどこかへ行きたい」友人のSがLINEのグループに送ってきた。ぼくは今もそうだけど、非常に時間的に厳しくて、Sの企みに付き合うかどうか迷った。

 Sとはもともと職場が同じだった。今は別々のところで働いているから、そうそう会うこともない。会えるときに会わないと、どこで今生の別れになるかわからないなって思って、ぼくはなんとか都合をつけることを決意した。こうしてぼくとSとそしてAの三名でレンタカーを借りてうどん県とも言われる香川県まで日帰り旅行へ行ってきたのだった。

 その日は曇りで、ぼくの先行き不透明な未来を感じさせるものがあった。そんな曇り空の見晴らしも良くない中、明石大橋を四国へ向かう様は、まるでハリウッド映画でヒーローが危機のど真ん中に突っ込んでいくシーンを思わせた。そこにはほんのりとした希望が残っていると信じたくなった。ぼくは山に囲まれた土地に住んでいるので、海を見るのは非日常だ。だからそんな変な妄想を思いついたのかもしれない。

 ぼくの毎日は単調だ。朝起きて仕事へ行き、仕事の昼休みにイラストレーターで絵を描き資料を読む。仕事が終わってからはそのまま帰宅するか、職場近くのカフェなどに行きイラストレーターで絵を描いて帰る。毎日日記をつけて他人に見せられるほどドラマチックではない。生きるための仕事と自分がやるべきことのための作業を行っているだけだ。1月の途中から毎日noteに絵日記を載せているけれど、それも文章で毎日書くことがないからというのも理由だったりする。

 時間は残酷にも有限で、ぼくにとってはすべてが短い。友達と共有する時間も家族と共有する時間も少ない。だから少なくとも今自分の目の前にいる人をなるべく大事にしたいなとは思っている(できるかどうかは別)。だって、それぞれが持っている時間なんていつ終わるか、試合終了のホイッスルが鳴るかなんてわからない。どこから90分が過ぎ、ロスタイムに入るかなんてわからないことだってあるのだから。

 ぼくらはすごくたわいもない話をして、うどんを食って、うどんを食って、うどんを食った。それぞれのお店の個性があって、ぼくらはめちゃくちゃ驚いた。同じ日本だけど大阪とは違った香川県高松市の空気はぼくらの脳内に刺激的に響いてきた。高松市を横切る電車の走る姿はなぜかぼくの胸に懐かしさを広がらせ、その街がもっている空気はどこか優しく感じた。

 瀬戸内海に面している高松城では鯉ではなく鯛に餌がやれる。海から遠い土地に住むぼくにとっては、それはすぐに理解できるものではなくて、本当かなと疑った。でも、よく見るとやっぱり鯛で「ああ鯛だ! 鯛だ!」と言ってしまった。餌に群がる鯛の姿は珍しさよりも、どこか滑稽だった。それにしても鯛を餌付けする餌の販売って誰が考えたのだろう?

 同じ日本なのだけど違う土地に来ると、やっぱりその土地その土地の匂いがあって、それははっきりとこうっていうものじゃないのだけれど何か匂いがある。たぶんそれは気候だったり自分の気分だったり、その街に集う人々の感覚だったりするのかもしれない。いやもしかすると、土地特有の妖怪かもしれない。

 休日っていつも背負っている荷物を一旦降ろして、固くなった体をほぐすことなんじゃないかとぼくは思う。そしてそれはいつもいる場所から離れる方が、荷物を降ろしやすいんじゃないかな、と。 ぼくは今回の日帰り旅行で、いつも背負っている重すぎる荷物を持っていかなかったし、それと同時にいつも考えていることのほとんどをこの日は考えなかった。いま制作している『ぼくらワールド解体新書』のこともほとんど考えなかった。ぼくは自分の固くなった体を脳みそをほぐすことだけ考えた。

 最後は、淡路島の温泉で露天風呂楽しんだ。神戸へ向かう明石大橋のイルミネーションの赤に近い紫とその向こうにある神戸の街の煌々と光ビルの光が、普段夜景の一部になっている都市の中を移動するぼくには、名前すら知らない土地を眺めているように見えた。

 

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