おっさんのおっさんによるおっさんのため雑記
先日会社帰りに50過ぎのおっさんと遭遇した。そのおっさんはふた月に1本【リアル脱出ゲーム】を作ったり、ふた月に1本【推理問題】を作っているおっさんである。めちゃくちゃ運動をするようなおっさんではないけれど、ぼくが知るおっさんの中では理想のおっさん像のひとつである。そのおっさんは普通に働きながら、創意工夫に満ちた生活を送って、いろんな人と繋がって楽しんでいる。頑固なところがないわけではないけれど、かなり柔軟な頭を持っているおっさんだ。
会社と家の往復な生活っていうのは、ぼくはかなり思考を老化させるのではないかと思っている。いや、たまに飲食に会社の同僚と行くし! っていう人もいるだろうし、最近は転職をいくらか繰り返した人の場合は、前の職場の人と飲食することもあるだろうけれど。そんな小さな刺激はやっぱり小さな刺激でしかなく、いつしか遠ざかって行くようにも思うんだよね。自分からどんどんアプローチをかけて、自分の変化と相手の変化にうまく対応しつつ関係性を作り続けないとなって最近思う。
その方法は多岐にわたっていて、ただ定期的に飲み会を開くだけでなく、どこかへ日帰りで旅行に行くだとか、またはちょっとしたピクニックをするとかでも良い。子連れでも参加できるようなイベントをやったって良いんだ。やり方は人それぞれだし、やりようはたくさんあるし、こうだって思い込まなくても良いなって思う。
最近面白くないし、楽しくないのはなんでやろかと思い、ぼくは悶々とした日々を過ごしていた。そんな時、ぼくはふと突発的に芝居を観に行くことにした。お芝居のテーマは【故郷】だった。
主人公は引越しを繰り返したため【故郷】という言葉をうまく自分のものにできない19歳の女性。その女性が携わるお芝居のテーマが【故郷】で、芝居に参加する俳優たちが【故郷】について語ったり、【故郷】と関わって行くお話だ。でも【故郷】が自分にはないと思っている19歳の女性はどんどん【故郷】という言葉に迷って行く。そして最終的に彼女が見出した答えが・・・「故郷とは今、ここで作るもの」というものだった。なんだかその言葉がぼくを少し自由にしたような気がした。
おっさんである自分を自由にした19歳の女性の言葉。いや、このお芝居から振り絞るように出てきた一滴の言葉が、退屈しているぼくの目にはひとすじの光に見えたんだ。
単調な生活だって、どんどん開拓改善していけば発見もあるし、洗練されて行く面もあるのだけれど。それだけだとぼくは退屈してしまう。ある意味、決まりきった生活は、ほぼほぼ予定調和だし、あまり突発的なことも起こらない。だから、物事を美しく、完璧にこなすことができることが多いだろう。それが楽しくて、新しい発見があって自分が成長できていると実感が出てくるのなら良いのだろうけれど、そこに停滞や澱みが溜まるようなら、それは自分を苦しめるものになる。
自分を苦しめる環境を変えるには、突発的な出来事を受け入れなくちゃできない。突発的なことを受け入れて、澱んでしまった決まり切った生活から一歩踏み出すには、完璧であろうとすることを辞めなくちゃなと思った。ああ、完璧でなくても良いんだって。
ぼくは完璧ではないおっさん、おっちゃまでありたい
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