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鹿児島県人は何故優しさを失った?
今回の出来事を受け、西郷隆盛が晩年中心地にあまり居なかった理由が良く解るような気がしました、明治時代の当時でも徐々に薩摩人の優しさが失われていたんだと思います。逆に霧島などの田舎地域では「薩摩人の心」がまだ残っていたからではないかと思います
申し遅れました、わたくし西郷家の後継人「川口 雪篷」の子孫の“ただひろ先生”と申します。祖母の幼い頃は「西郷隆盛がよく家に遊びに来た」そのように話されていました、わたくしはそんな生粋の薩摩人の末裔です
川口雪篷
説明
川口 雪篷は、江戸時代後期の薩摩藩出身の書家。西郷隆盛の知遇を得て、書と漢詩を教えた。後述するように、沖永良部島から帰島後は亡くなるまで西郷家に寄寓して、西郷家の留守居役を果たし、また西郷の子弟の教育にも当たった。 ウィキペディア
なんなんだよ!鹿児島県人
東京生まれ東京育ちの私が、25年前に初めて鹿児島に行った時、その人たちの人間的温かさに感動したものです。特に高齢者の方々が他の都道府県の感覚とは全く違う印象を受けました。新幹線もまだ開通していなかった鹿児島中央駅周辺では昔ながらの商店や飲食店などが並び、夜の街(天文館)では安価な店ばかりで薄利多売なお店が多く賑わっていました
年々「人」が悪くなった鹿児島市
この20数年定期的に鹿児島を訪れてハッキリと感じた事が「人の優しさ」が失われている事、あからさまに「薩摩心」が受け継がれていない人間が増えてきたと言わざる負えません。特に近年、訪れた都道府県の中では最悪の人柄状態になっていて、西郷家の身内として、一言言わずにはいられなくなり記事にしました
鹿児島県人の変わり様
昔の鹿児島県人実例①
指宿枕崎線の薩摩今和泉駅(さつまいまいずみえき)で降りて今泉家のお墓参りに行った際に、案内人の地元の方がとっても親切にしてくださいました、ご高齢にもかかわらず東京から来た私に、時間の許す限り親切丁寧に接してくれました
昔の鹿児島県人実例②
1人で鹿児島に行った際に義理の身内の方に食事に誘って頂き、美味しい地魚を食べさせてくれたり、安価な知り合い宿等、初対面の私に色々と良くしてくださいました
昔の鹿児島県人実例③
当時鹿児島で暮らしていた妻が突然亡くなり鹿児島へ行った際に、事情を察した、見ず知らずの滞在先ホテルのパートのお婆さんが「食べなきゃダメ」といって有料の食事券を毎日無料でもらいました
鹿児島県人の変わりよう2024
(2024.4月)優しさを失った鹿児島県人の実例①
鹿児島の中心街(天文館)で飲食店での酷い客引きに遭いました。信じて海鮮系の個室大型店舗のお店に入ると、汚い店内に加えて、お箸やお醤油も出さずにくたくたの海鮮丼やコンビニの鳥から揚げのほうがまだマシな料理、しかし値段はめちゃ高い状態でした、以前は鹿児島中心地にはこんなお店はありませんでした、その後も1時間4000円というラウンジ系のお店に行き、お会計は何故か1万円を超えていました
(2024.5月)優しさを失った鹿児島県人の実例②
自己中心的な人間が増えて、義理を欠くような状況にも驚きました。東京から3週間で2度往復しても、義理の身内は一切交流を避け合う事すら出来ず、それを知った友人も会うのに数日掛かりました。詳細はすべて説明できませんが「他者を思いやる心」が強く日本で唯一特殊な場所と人間が大勢居た薩摩人が鹿児島市内には居なくなってしまったのだと思います
そして今日(2024.12.03)優しさを失った鹿児島県人の実例③
とある鹿児島県の外郭団体の職員と話をしました。
酷い・・・私は言いました
T先生:「鹿児島県人はいつからこんな怖い人間ばかりになったんですか?」
鹿児島外郭団体職員:「いや他の都道府県と変わらないと思いますが」
温和な私もさすがにこう言いました
T先生:「そういう話じゃありません、私の祖先は生粋の鹿児島県人です、鹿児島人の優しい心が無くなり、マニュアル通りの冷たい対応しかしなくなった鹿児島県の人の心を言っているんです!!!」
【終わりに】
その鹿児島県の外郭団体の職員の顔を見ると恥ずかしそうな表情をしていました。都内でエリート顔していても、肝心の中身(心)がそれじゃ鹿児島の恥になる事を理解してるんだかどうだか?実際のところはわかりませんが、そうでしたらそこは唯一の救いだったかもしれません
20年前、結婚式の際に鹿児島で式を挙げるために、家族でホテルにチェックインしようとすると店員が「予約が無いのでチェックインできません」とホテル受付の方がミスをしました、予約名が旧姓だっただけの勘違いでしたが、薩摩女の妻はホテルの店員に激高していました、半端な怒り方じゃありません。でもそれはミスに対して怒ったのではなく
鹿児島人(薩摩人)として客(東京から来た人や身内など)に対して失礼な態度をして、鹿児島の恥になるような事をするな!
ここに怒っていたのです
西郷先生、鹿児島は、薩摩は変わりました。しかし私の妻や父は短命でしたが東京で暮らし、多くの人に愛される優しい薩摩人でしたよ。
2024.12.03
ただひろ先生
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