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名探偵津田とメソッド演技
去年の話ですが、名探偵津田のはなし。
水ダウは人権意識が希薄なので基本的にもう見ない番組ですが、名探偵津田は面白そうなので見ました。おおむね楽しく見たんですがやっぱり気になるところはあってそこは残念。
まず一つは、助手の女の子との恋愛展開。
俳優の女性が一方的に津田氏から好意を持たれていて、精神的に負担になっていないか心配になった。津田がキスしたいと言うのはコミカルではあるけれど、随分歳下の女の子に…とか、そもそも家族がいる男性では…、など普通にマジレスが思い浮かぶ。
女性も仕事としてキスをも了承しているだろうけれども、歳がかなり離れたおじさんに好意を持たれる前提の仕事ってツラすぎるだろう。
とにかくここに関しては時代錯誤すぎて、水ダウやっぱり見ないほうがいいなと確信。次、名探偵津田があっても見るのはやめておく。
で二つ目。
津田の睡眠を30分おきに妨害して心身共に追い込んで面白い事を言わそうとする手法が、かつてキューブリックとかフィンチャーがやってたリテイク地獄みたいで怖かった。
「1の世界、2の世界」という津田の語った話はメソッド演技を強いられている人間の素直な吐露だと思うし、なにも笑える話ではないと私は聞いていたからスタジオが「意味分からん」と大爆笑しているのがとても違和感だった。
あのまま津田が「名探偵」の自分から帰れなくなってしまう事はきっと普通のことだし、人間って環境次第ではそこまで入り込んでしまうと私は思う。
だからあの睡眠を細切れにして追い詰める手法があまりに残酷で、やっぱり見ていられなかった。途中からリアリストのみなみかわが加入した事でかなりホッとしたけど、そういう「人間の精神状態」に番組がまったく興味が無い様子というか、そういうところがまた残念ではあった。
Netflixに「ジム&アンディ」というドキュメンタリー映画がある。
ご存知ジム・キャリーが昔、ある映画の主演をした。アンディ・カウフマンというコメディアンの人生を描いた作品で、ジムは彼を演じた。
ただジムは彼を演じるのではなく、彼になってしまった。監督から「ジム」と呼ばれれば「ジムって誰?僕はアンディだけど」と本気で首をかしげる。完全に憑依してしまっているので、周りのスタッフも否定できずジムをアンディとして扱った。
ここまでは「ジム・キャリーすげー」くらいの感覚で私はポテチなどを食いつつお気楽に見ていた。ただもっと驚いたのはその憑依が周りに広がったところだ。
アンディ・カウフマンの父親役をする俳優が撮影現場にやってきた。アンディ役のジムと会話をする。「お前が誇らしいよ」と父親役の俳優、「父さんホントに?そうなの、へぇ」とジム。これ映画を撮影してる訳では無い、現場でやりとりしてる。普通は「よろしくお願いします」「お疲れ様です」とかじゃないのか。
で、もっと凄いのはトレーラーでメイクしてもらってるジム・キャリーのところに父親役の俳優が乗り込んで「お前の事を父さんは心配しているんだ!」といきなり説教し始める。ジムも「父さんは何も分かってない!」と言い返す。父と息子のやりとり、2人とも本気でやっている、リハーサルではない。人間、入り込むとここまで他人になってしまえるんだとその映像はゾッとした。
もちろん俳優として演技をしている人もたくさんいるし、ほとんどそうだと思う。でも入り込んでしまう人はいるし、それはおかしい事じゃない。
津田が「境目が分からなくなる」と話していたのは凄く自然な事だと思う。プレゼンターとして収録に来たのに騙し討ちで名探偵津田という企画が始まった事もあって、余計にあやふやになったのかもしれない。
お笑い芸人だからどんな扱いを受けても笑えればそれでいいじゃないか。いや、それでいいんだろうか。
確かに事前に「名探偵津田をやりましょう」と打ち合わせをしていて、スケジュールをおさえて、心の準備をさせていたら津田の怒りや戸惑いがない分まったく面白くないかもしれない。
というか水ダウの作る大半は、そういったごく普通の段階を踏んだら面白くなくなるかもしれない。
ただもういいんじゃないかな、その「笑い」は、と最近思い始めている。そこまで人間に負担をかけた笑いで笑わなくても、たくさんあると思う、他にももっと。
そんな事を思った、名探偵津田でございました。
以上です。