将来設計は死ね
将来設計なんかクソくらえ
そんなことを言うと、まるで夢を追いかけるバンドマンのような、世間体に囚われずスターを目指す若者みたいな、何かロマンを感じるかもしれないが、僕はまるでそう言うのとは違う。
ただ、今さえ生きのびたら何だっていい。
苦しい毎日の中で、その日その日がただ絶望にまみれることなく、確かな希望があり、多少の変化があれば僕はそれでいい。
1年後10年後に何してるかどこにいるかなんてわからないわかるはずもないし、分からなくていい。
今さえ確保できたらいい。今と明日の最初の部分さえ希望に満ちてたらそれでいい。
だから、生涯年収とかサラリーマンの年収とかを引き合いに出してさも正しい事を言ってるかのように「まぁ君は一年で3億稼げるんならいいけどねww」と煽り散らかしてきた
齊藤 丈靖
にはまずお前の散らかったこの研究室を片付けてから喋りなと言いたいし、
同じく「まぁ君の人生やからなww」とか言いながら俺の人生過去未来現在全てを否定してきた野村 俊之は矛盾という言葉をまず覚えてから筋道というものを理解して、そのツンデレは全く可愛くないというのを自覚した方がいい。
将来設計をしっかり見据え、考え、計画を立てている。そんな人間が僕の周りには多いが、心より尊敬する。
60歳になってもないのによく60歳のことを想像できるよな。
僕は大学に入るまで、絵に描いたようなガリ勉くんだったが、どうやら「現実社会」についての教養は皆無だったらしい。知らないから想像できない。
もしかしたら、この先僕は後悔するかもしれない。あの時大学を卒業すれば、復学すれば。そう思うかもしれない。
でも、いいんだ。後悔なんて今までたくさんしてきた。
小学生の頃貯めた貯金は中学に入ってライトノベル4、5冊にすぐに消えた。
高校までに貯めたお年玉は大学で飲み会に消えた。
受験期に大好きだったアニメを捨てた僕を尻目に、一緒に京大を目指していた宮下くんはアニメを見ながら京大に受かった。
生粋のラブライバーだったにも関わらず、ラブライブの映画は公開から一年経ってカラオケで見て静かに泣いた。
いくつもの我慢をしてきたその先に、輝く未来なんて今までなかったし、より一層周りからの孤立を深め、仲間との共感を楽しめず、どんどん変な人に成っていった。
親が築き上げた鳥籠を出て気づいたのは、周りのみんなは意外と未来なんて考えてない。
奨学金は趣味やプレゼンにすぐ使い、ヤりたいと思えばワンナイトなんて平気。子供は堕すし、大学は勉学の場ではなく「身内ゲー」。
いかに「身内」を増やして社会を切り抜けていくか。社畜になる練習。社会人の予行演習。
一部を除き研究・論文なんてテキトー。科学者の志のカケラもない。
でも、実際そういう彼らの方が楽しいし、充実してるし、適度に波瀾万丈で、より「社会に適している」。
一般大衆と同じような楽しみを感じ、共感でき、いわゆる「立派な大人」。それこそが正しい姿。
何が言いたいかって、みんな今を生きてる。
それに、ここ最近僕がやっと目指したいと思えた人種も「今を生きている」。
今、今、今。
将来どうなったっていいってのは、投げやりだけど、それだけ今をがむしゃらに生き続ければ、振り返った時にそれが自分の歩んできた道だと言えるんじゃないのか。
過去があるから今がある。どの選択肢なくして今の自分は成り立たない。
逆に言えば、今から未来の道は作れない。今は今の道しか作れない。
だからこそ、今を一生懸命に、生きる。
未来に悩まなくていい。今目の前にいる大事な人を幸せにすればいい。それは自分も含めて。
最善を尽くせば、大切な人を泣かせることもない。