宝物は死ね
目が覚めたら二週間後には今いる家を退去することになっていた俺はろくに考える暇も無く断捨離をするハメになったが、もとより近いうちに今いる家を出て東京でシェアハウスをしようと思っていたにも関わらず持ち前の怠惰さが邪魔をして準備なんて何も取り掛かっていなかった自分にはちょうど都合が良かったのかもしれない。
小学生の頃、「私の宝物」とかいうタイトルで作文を作って、それをみんなの前で発表するなんてものがあったが、やはり宝物なんてたかだか10歳の少年には中々なく、今思えば当時から何かに抑えつけられてばかりで譲れないなんて物もろくに持たずに育っていたのかもしれない。
小さい頃から”英才教育”を受けた結果か、それとも俺が天才なのか、特に算数の分野では他に劣ることはなかったし、結局高校を卒業するまで自分は勉強が好きだ得意だと思っていた。それは今でも間違っていないと思う。
そんな自分はみんなのように創作意欲が高い訳でもなく、誰よりも信頼できる友人がいるわけでもなく、だからといって家族との時間が何より大事だとも思わず、物質的にも精神的にも宝物なんて無いのに、今どき段ボールのゴミで作ったロボットを誇らしげに宝物だなんて言うやつを見ながら「宝物ってなんだよ」と思っていた記憶がある。
俺は今24になった。
結局青春時代はアニメと勉強にほぼ全てを費やし、親からの洗脳下から離れ一人暮らしを初めて2年後には毎日死にたいと思うようになり、だからこそ初めて夢中になれたものだってある。
朝起きる時も必ず母親に今起きていいかを聞いていたし、ついこの間までバイトを始める時にやっていいかどうかを逐一親に報告していた。
そんな俺がいつしか自分で考えるようになり、昔から夢だったドラムを始め、FPSを始め、異性と付き合い、YouTubeも初め、筋トレも始め、タトゥーを入れ、これからもこうやって自分の人生は自分で決めるんだと実感が湧いてきた。
昔の俺と今の俺は違う。
親に反抗したのは記憶のうちに二度だけある。
一度目は、友達から借りたゲーム機がバレ、我が家だけゲーム禁止なのはおかしいと泣き叫び散らかしたこと。
二度目は高3の春、親が購入した動画教材のレベルについていけず俺は死ぬと叫んだこと。
これぐらいしか反抗はしなかった。俺は何だって親の言うことを聞くとても便利で都合の良い子だったと思う。
俺に反抗期なんて無かったし、反抗している同級生を見て幼稚だなと蔑んだりもしていた。
どうやら違ったようだ、俺は俺の意見を伝えられず、言いたいことを我慢し続けた人生だったんだ。
俺には宝物ができた。
世界で一番大事だと思える人から預かった指輪は死んでも誰にも渡さない。
そして俺は必ず東京に行く。
待ってろ、未来の自分、すぐ行くからな。