努力は死ね
前期後期日程共に不合格となり、滑り止めの中期日程で名前も初めて聞くような大学に入った時に一番強く感じていたのは、もう勉強しなくていいんだという解放感だった。
とはいえ、結局やってることは中高と特に変わらず、だらけているやつの方が多いし内容なんて受験勉強に比べれば遥かに簡単なものも多かったのに、「また勉強しなければならない」という苦しさに絶望したことをよく覚えている。
大学入学はゴールじゃなくてスタートだなんてよく言うが、小学生の頃からの苦労を考えればそろそろ報われてもいいような時期でもおかしくは無いはずだった。
急遽退去が決まった為に書類整理をしていたところ、大学一年生の頃の微積分であったり、ドイツ語であったり、熱力学のプリントが山のように出てきた。
裏が白紙のプリントは置いておくケチな癖と持ち前の懐古厨がこんな風に組み合わさるのは僕の人生では良くあることだった。
努力は裏切らないとか、努力は平気で嘘をつくとかそんなのどうでもよくて、そもそも「努力」とか「人生」とか「幸せ」とかについて語ってるやつが本当に嫌いで、
それでも僕は努力家とかストイックだとかよく言われるけど、そんなの好きなものにただ熱中していたにすぎない。
ドラムもYouTubeも筋トレもゲームも、好きだからこそありったけの時間を使って必死にのしあがろうとした。向上心の塊とも言われるがそれは自分も同意だ。
両親には今は辛抱する時期とか、自分も我慢してきたとか、若い頃に苦労して勉強するから将来安泰だよなんて言われて育ったけど、そんなもの間違ってる。
親に洗脳されてきた人生だったけど、納得はできなかったことは覚えてる。
努力って言葉が何か物事を美化したり、人生を語ったりするのに便利な言葉なのかもしれないが、そうだとしたらやはり努力という言葉は嫌いだ。
苦しくて、我慢して、辛い思いを乗り越えていつしか人生が切り開かれるなんて全くの嘘だ。そのいつかはいつになっても来ない。
夢や目標があって、その為なら多少の苦難さえ苦しいと思わない、そう思えるようなことに俺たち人間は魂を費やすべきだ。
嘘つきな大人が多い世界だ、ろくに自分が成功もしてないくせに無駄に人生を長くダラダラと生きているだけの人間が偉そうな口を叩くな。
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